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信号のボタンを捻る方法は知っている

いつもキラキラしてて良いねという親友からお褒めの言葉をいただいたんだけど、
実際の私はもっとドロドロしてて、苦悩ばかりで、キラキラ魅せたくて、そんな言葉を使っているんだと思う。

でも一つ言えるのは、自らこのドロドロした人生の選択をしているし、その乗り越え方も、次の一挙手一投足も、ただの一つも受け身で選択したものはないことは言える。

いつからこんな人間になったんだっけな…

1.ネタを作るのが私の生きる道だった

中・高校生の間いじめ続けられた私は、いつも集団の輪の外に追いやられていた。

だから、絶対大学デビューしたら輪の中心にいつもいる存在になる、と決め込んでた。

輪の中心にいるのは、だいたいおちゃらけキャラでいないといけない。実際馬鹿だったと思うけど、「バカを演じる能力」も要る。

そして常に、中心にいる人はお笑い芸人のように、人生に「ネタ」がないといけないのだ。
話題の提供
みんなの笑いが増える
そこに自分の存在意義を感じていたのかもしれない。

ネタなんて普通に生きてても何にも生まれない。
だから、恋愛は格好のネタだったのだ。

自尊心のなかった私は、誰かに承認されたい欲求から、
誰かを好きになって、没頭することには長けていた。
それに自尊心のなかった私は、誰かに告白してフラれることにも慣れていた。

どうせ誰にも承認されてない身で、失うものなんて何にもない。
当時は「当たって砕けろ精神」と評して、身を削って恋愛劇を作り、そこからのストーリーを誰かに披露する、というまるでお笑い芸人のネタ作りのような日々が始まったのだ。

予定通り大学入学以降、私は常に輪の中心にいることに成功した。恋愛事情は波瀾万丈だから、「なんで志布っていつもそんな人生なの?」と言って、みんなゲラゲラ笑った。

とはいえ、今思い返すとそんな下心もあって行動を選択してたな、と思うんだけど
当時の私は、そんな自分を俯瞰する術もなく、馬鹿正直に「自分はバカだから」と受け止めていた(笑)

「志布ってなんでそんなにお馬鹿なの?」という言葉をまともに受け止めて、
自分のような馬鹿は、生産する(クリエイティブ)ことは難しいから、それを後押しするような存在になろうと人生の選択を線引きしてしまっていたけど、
自ら選択を狭める必要なんてなかったのにな…当時はそんなことも知らなかった。

対人関係は分かりやすくPDCAが回りやすい。絶対に自らの思い通りにはいかない。

これをやったらどうだ?
こうしたらどんな反応があった?

結果的には、私にとってはどれも実験になっていて、もちろん良好でない結果も反映されてただろうけど、それも含め行動したら結果が返ってくるという当たり前のPDCA活動を自分の人生で取り組んでたんだと思う。

私の行動力の源泉はここにあったんだな。

2.自分の人生の選択は自分で決められる

そうはいっても、さっきまで話したことは結果論で、意識的にやっていたわけではない。当時は自分の深層心理なんてわからないし、「俯瞰して見る」の意味がわからなかった。

3番目に付き合った彼氏から、この本読んでみてと言われた本が『7つの習慣』だった。
この本を読んで私の人生が変わったことは間違いない。そういう人は、結構多いんじゃないかな。

色々経験してきたけど、それらはやっぱり受動的で、自分の人生をコントロールなんてできるわけないと思ってた。
だから、『7つの習慣』を読んだ直後の私には内容が難し過ぎて、そんなのだいぶハードル高すぎる…と思ってたけど、今なら分かる。

その時無理でも、意識して行動し続ければ、理想の自分には絶対近づいてる。人生が証明してる。
「お馬鹿」な私が生産する(クリエイティブ)ことができるわけなんてないってずっと思ってた。

でも、理想を描き続けた。
自分の影響を与えられる側を増やして、未熟すぎる自分に全部を投資した結果、無理だと思ってた場所に今立ってる。
誰の人生も同じで、出来ないスタートから始まって、出来る側に立っている人はみんな、
行動した人だ。

3.信号の捻り方

誰かに承認を得るために没頭し、あーでもないこーでもないをしながら、相手にとっての最高のエクスペリエンスを試行錯誤する。

人からの承認欲求はもう満たされたから、これまでの対人関係においてのPDCAからの気づきを、社会に還元したい。
対人においては、相手の声に応える、という反応があったように、
社会おいては、大きな声という名の「課題」がある。これに問いかけ続ける。

この時社会においては、
「こうしたら、ああなったね」
「こうしたらあんまり良くなかったね」
と問答し合えるような相手がいることで、威力が増す。

それを構築し続けることが信頼関係となって、そこに実は物凄く莫大なエネルギーが生まれることを知った。
個では実現できない社会を変える力は、

共鳴し合える人が、社会変革には必要なんだ。
そこには共鳴が必要で、
そこには意志が必要で、
受け身でない、自らが変えるという途轍もない覚悟のあるエネルギーがぶつかる時に、
大きな化学反応が起こる。

私はこれが見たい。
自分が、自分の信号のスイッチを入れられるのは、この瞬間だって分かっている。

逆に、その言葉に覚悟が見られないことが分かった時、私のスイッチは切れる。
そこに、エネルギーが生まれないことは分かってるから。
それは、ただの作業だから。

だから、
意志を貫いた
確固たる覚悟を持った
今、この瞬間を生きる
その連続が紛れもない、想像した未来に繋がっている。

この感覚に入れる時、自分が想像もしていない、
1人では成し得ないエネルギーが生まれるのを知っている。私はこれを社会に還元したいんだ。

全部ここに繋がってたんだな。
偶然のように、たまたま私には障害のある子が生まれたけど、
偶然が必然に思えることがある。
ただの偶然にも感謝を覚える。

私にはこれが生き甲斐で、これが私の生きる道だった。

信号の捻り方は、私が一番よく知ってる。


信号は捻るものではないけど。

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