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【読書メモ】アファーマティブ・アクション-平等への切り札か、逆差別か_南川 文里

南川 文里さんの「アファーマティブ・アクション-平等への切り札か、逆差別か (中公新書 2811)」を読んだので感想をメモしておく。
「アファーマティブ・アクション」は日本語では「積極的差別是正措置」と訳される、入試や雇用・昇進に際して人種やジェンダーを考慮する実験的で論争的な取り組みのことだ。

僕が米系企業の日本オフィスに勤めているとき、昇進や採用の男女比がだいたい半分ずつに固定されていた。それはきっと料理レシピみたいなものなんだろう。日本人学生の男女をそれぞれ10人、海外大学卒は男2人女3人、風味づけにドクターの学位を持った学生を少々、、、
採用される日本人学生のほとんどは東京大学の学生であり、その大学の男女比率を考慮すれば、男の僕は不利な戦いに挑んでいるように感じてしまっていた。東大の8割はむさ苦しくエネルギーにあふれた男子学生なのである。当落線上の男子学生たちの間では、女性の採用基準に対する不平がじめじめと渦巻いているように感じた。

その際、積極的是正(アファーマティブ・アクション)について興味がわき、数冊の本を読んだ。その必要性や、短いスパンにおける正当性については理解したつもりであった。これはつまり、過去の差別の積み上げを、急激に解決しようとするための劇薬であり、副作用として逆差別やその他の弊害が発生してしまうのは仕方がないのだ。

それからしばらくたって、本書を読んだ。
本書では、その劇薬の利用法に対して、先人たちがどのような議論を重ね、様々な課題と向き合いながら、政策を積み上げ続けたストーリを知ることができる。トップダウンで差別を是正しようとすればするほど、現場には歪が発生する。その歪や痛みはわかっていても、それでも、と歯を食いしばって信じる方向に走り抜けるその姿勢には感動を覚えた。連邦最高裁のアファーマティブ・アクションに対する違憲判決は、ある種ドクター・ストップのようなものなのかもしれない。もう十分がんばったんだ、これまでお疲れ様。そう言って、僕たちはその疾走によって発生した歪を解決しようと、再び努力を重ねるんだろう。

過去の先人たちが積み上げてきた歪を是正するために、いずれかの世代の特定層が犠牲になる。その犠牲がたまたま僕らになることもあるが、きっと僕らも後世の子供たちに、いずれかの形で負債を残してしまう。それは飛行機が空を切り裂いてその跡を残すのと同じで、避けられないことなのだと思う。そのスパイラルをぐるぐると走り抜けた先に、それまでの努力に見合った素晴らしい世界が待っているとは限らない。それでも僕らはこの瞬間に正しいと思う方向に走り続ける以外の術をもたないのだ。
この本を読んでそんなことを考えた。

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