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生還4

初体験の「手術後」

ストーマ造設手術が終わった後、夜になってからが大変でした。全身が痛いのです。なんとも皮肉なことに、一番楽なのが手術した箇所の傷。じゃあどこが痛いかというと、背中、腰、そして元々痛かった腫瘍の部分です。これらはすべて、身動きできないことが原因でした。
手術前に血栓予防のため、弾性ストッキングを履き、フットポンプをつけていましたが、その上からさらに電気毛布がかけられています。手術後は体が冷えるのだそうです。で、これが完全に足元を拘束しているわけです。加えて尿道カテーテルと手術箇所の装具、点滴、心電図の電極シール、パルスオキシメーター……と、全身に色々繋がっています。もちろん絡まらないようにセッティングされているのですが、なにしろ自分で見えていないので、ちょっとでも動くと外れて大事になるかもしれない、とか、体をひねったら手術した箇所に重大な何事かが起こるのではないか、とか、余計な心配がぬぐえません。この心理的な部分を含めて、私はかなり強固に拘束されている感覚に陥り、ひたすらじっと仰向けに寝ていたわけです。ずっと同じ姿勢なので重力のかかる背中や腰が痛いのですが、もうひとつ。
術後は頭を高くしないほうがいいそうで、枕がなく、ベッドの角度もフラット。この「まっすぐ」な状態だと、筋肉や皮膚がぴーんっと張ったままになり腫瘍部分に圧力がかかります。想像してください。平皿にご飯を山盛りにして上からラップをぴったりかけた感じ。そう、ご飯がぎゅうっと圧迫されますね。腫瘍がご飯、筋肉と皮膚がラップです。痛い。痛いんです……これ。入院前もこの痛みから逃れるために枕を重ねたりして頭を高くし、なるべく「くの字」の姿勢を作って腫瘍部分にゆとりができるようにしていたのです。それができないうえ寝返りもうてないため、縦にも横にも「く」が作れないではありませんか……

手術台がまな板だとしたら、術後のベッドは料理を盛り付ける大皿(ラップ付き)。料理されたメインディッシュは、美しい盛り付けを崩さないように寝ていましょう――となるべく楽しい妄想をして過ごします。看護師さんは「痛かったら遠慮なく呼んでくださいね」と言ってくださっていましたが、手術箇所が痛いならともかく、寝返りがうてなくてあちこち痛い、なんて申し訳なくて言いにくいのです。たまたまそこに看護師さんがいれば、言えなくもないのですが、ナースコールを押すのって中々勇気がいります。わずかに動かせる範囲の筋肉をフル活用して、腰の右側を少しだけ浮かせてしばし休み、今度は反対側を、などと芋虫のごとくもぞもぞやってしのいでおりました。

1時間、いや30分でもいいから眠ってしまえれば、少しは楽だろう、と思うのですが、ようやく眠くなってきたところでお隣のベッドに入院がありました。夜間ですから当然緊急入院、とてもお辛い状態で到着されたわけです。処置もありますし、色々と落ち着かない様子がカーテン越しに伝わってきます。病室ではこういうことはお互いさま、こればっかりは仕方ありません。朝になれば、装着品のほとんどが外れると聞いていましたので、ひたすら朝を待ちました。怪談などによくある「朝になりさえすれば……」「太陽さえ昇れば……」のシチュエーションです。本当に……ほんっとーに、1分が長い……ホラー、サスペンスにおける当事者目線だと時間の流れが遅くなるのである……と、『料理されたメインディッシュ妄想』はいつしか『ド文系による相対性理論解釈講座』になり、病室に朝の光が差してくるのをただひたすら待ちわびるのでした。

さて、そんな長い夜もようやく明け、装着品の数々が取り外されました。ああ、のびのび……。と、そこで対面したのがおへその右側についた装具、小腸(回腸)ストーマからの排便を受けるパウチです。すでに書いたように、傷としての痛みはほとんどありません。ただ、見るのが怖い……。実は、父も十年ほど前に癌で大腸のかなりの部分を切除し、その手術後に取ったものを見たことがあります。いや、びっくりしました。まさか、映像などではなく実物の、とれたてほやほやを見せられるとは思ってもいなかったので、ででん、と登場した大腸に言葉もありませんでした。その衝撃に比べれば、見えているのはほんの数センチ、しかも自分の小腸ですから、……いや、でもね? むしろ、自分の小腸、切除された父の大腸と違って現在進行形で活動中の自分の内臓が、体外に出ているってすごいことです。しかし、見るのが怖いとか、そんなことを言っている場合ではないのです。そう、現在進行形で活動している人工肛門。排便をコントロールする機能はないので、自分で気づかないうちにパウチに便がたまってしまうわけです。その便を廃棄することと、数日おきにパウチ自体を交換すること、今日からそれらが必要不可欠になります。

最初のうちは廃棄もベッド上で看護師さんがしてくださるとのことなので、後で教えていただくとして、まずは起床です。私は全身麻酔の手術なんて初めてだったので知らなかったのですが、これくらいの手術だと翌朝にはもう歩くのですね。血圧なども問題がなかったので、「どんどん歩いてください」と言われ、ちょうど洗濯室が近い病室だし洗濯機回すだけだし、とつい洗濯までしちゃいました。コロナ禍で面会は一切禁止、荷物の受け渡しはナースステーション経由で、という条件下でしたから、わずかな洗濯物を持って帰るために家族に来てもらうこともないだろうと思ったのです。それにしても、術後は絶対安静、なんて何十年も前の話だったのかと、改めて医学の進歩に感服いたしました。

そしてお昼には久しぶりの食事です。
術後なのもそうなのですが、絶食期間が8日、その前もひと月以上まともな食事をほとんどしていなかったわけで、最初のメニューは重湯と具のないお味噌汁でした。重湯なんていただくの、おそらく乳児のころ以来ではないでしょうか。当然、記憶にはないので初めて食べると言っても過言ではない重湯。大腸を閉鎖しているという極めて特殊な状態でものを食べることも含め、なんだかドキドキです。ですが、重湯にはほのかな塩味、お味噌汁にはしっかり目のお出汁と味噌の香りが効いていて、思った以上に美味しい!(後日、管理栄養士さんに尋ねて知りましたが、わざと味を濃いめにつけてくれていたそうです。これは本当にありがたいご配慮でした)
食べられるって、とても幸せなことなのだなあ、とこれまで生きてきて初めて思いました。この後、もっと切実に「食事ができることの幸せ」を考える日々がやってくるのですが、このときはこのときで大層感動したものです。高カロリー輸液や輸血が生きる糧になる、なんて経験をした後だからでしょう。私というひとりの人間を生かすために、薬品が、医術が、どなたかの血液が使われました。食事を摂るというのは簡単なことのようで、その代替となるものを得るのは大変なことなのです。自分の口でものを食べる、しかも美味しいものを、自由に食べる――それは決して忘れてはいけない「幸せ」なのでした。

もちろん、食べれば栄養が吸収され最終的には排泄に至ります。
そう。
この排泄に関して、私は新しい機能と向き合うのです。


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