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みていられないけど、みてるよ

「ねー、みてて! みててね!」

と、毎日、なんどもなんども請われていたのは、もう10年も前なのか。

かっこいい砂山を作るのをみてて。
自転車に乗るのをみてて。
踊るのをみてて。
眠るまでみてて。

小さい子どもを育てているとき、親が一番たくさん時間を使ってるのは
「みる」ことかもしれない。

ケガをしたり、熱を出したりしても、
直接できることは少なくて、ただ治るのをみているしかできない。

学校での人間関係につまづいても、
試験に失敗しても、
大事な試合に負けてしまっても、
やっぱり、みていることしかできない。

子どもたちも大きくなってくると
「みててね」と言わなくなる。

ときどき、「私がみていたって、仕方ないんじゃないか?」
「もう、みていなくても大丈夫じゃない?」
「そろそろ、親がみていない方がうまくやれるんじゃない?」
「そもそも、ハラハラしてみていられないよ・・・」

と、思ったりもするが、

もうすぐ揃って中学生のこどもたちは、
学校行事や、スポーツの大会のときに、
「別に、来なくてもいいよ」という顔をしていながらも、
「今日、こないの?」などと言う。

何かの大会や受験やテストや、大きな曲がり角を曲がるとき、
もうやれることは、その子たちの中にしかないから、
親にできることは本当に何もないんだけど、

それでも親にできることは、
もうみていられないと、ハラハラしながら
やっぱり、みている、ことしかない。

一緒に会場まで歩いて行ったり、
うまくいかなかったときにおいしいドーナツを一緒に食べたり、
お風呂を温めておいたり、
また笑顔になるまでとなりにいたり、
あたらしい挑戦を応援したり。

そうやって、
みてるよ


体と目で、つたえつづけることしか、ない。

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