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罰と飴

父方の祖母はちょっと怖い人だった。

いつもなんだか高価そうな着物をきっちりと纏って、
でも、衿を抜いて、
「玄人」な感じが、子どもながらに伝わってくるのだ。
(玄人、が何かもちろん分かってなかったが)
実際、彼女は、水商売を経営して生計を立てていた。

祖母の隣にいるとお香の匂いがし、
小指の爪だけがいつも少し長かった。

祖母はよく「バチあたんで」と孫である兄と私に言った。

祖母は信心深い人で、昔からある神道系の宗教に傾倒していたので、
そういう言葉が日常的に出てきたのかもしれない。

毎月、ご先祖様のお墓参りに行き、祖母を先頭に、
墓の前に立って、皆で手を合わせて、祝詞(のりと)を詠んだ。

意味もわからず音だけを覚えて、全部諳んじられるようになった私を
「えらいで」と祖母は褒めてくれた。

そして帰り際の車の中で、いつも飴ちゃんをくれた。
黒飴だったり、金柑飴だったり、渋いのばっかりだった。

褒められても、一瞬、「ひっ」となってしまうような
ところが祖母にはあった。

そして、時折、わたしたちきょうだいが、おちゃらけすぎたり、物を倒したり、ごはんを残したりすると、「バチあたんで」という。

その言葉は、かなりインパクトがあった。

私は、大人になっても、怠けたり意地悪な気持ちを抱いたりすると
「やば。バチあたるわ・・・」と思ってしまっていた。

どこかで神様、いや「神さん」が、ずっと私をみていて、
ちょっとでも悪いことをしたり、人に意地悪な気持ちを抱いたら
なんかバチをあててくるのではないかと、自然とそう思っていた。

****

昨年父が亡くなり、
祖母が大切にして自らが入った墓に
父の骨を入れるかどうか、悩んだ。

祖母と父との関係性を考えて、それはきっと父は望まない、と思った時に
私たちは、父の遺骨をもっとわたしたちに馴染みがあるところに
納めることにした。
行こうと思えばいつでも行けて、いつか母も納まり
たいと言っているところに。

祖母は悲しむかなあ、バチが当たるというかなあ、とふと思った。

でも同時に、どこかでスッキリとした気持ちで
「そら、ないな」と思った。

やっと、ようやく、父と祖母を
何か大きなしがらみから解放させてあげられる気がした。

母親との関係性に苦しんだ父。
父を産んだことや、早くに父の弟を亡くし、苦しみ抜いた祖母。

その二人を少し話したところに納めることは、きっといいことだろう。
と思えた。

おかげさまで、祖母のおかげかなんなのか、
これまでの40数年の人生、私は
バチが当たるほど悪いことをしたこともない
(と思うけど、傷付けた人がいたらすみません)し、
バチが当たったこともない(はず)。

祖母の言葉は呪いでもあって、お守りでもあったと
最近になって、気がついた。

もちろん色々辛いことはこれまでの人生にあった。
好きな人に振られるとか、試験に落ちるとか、
なんとなく仲間はずれになるとか、大震災に遭うとか、
就職が決まらないとか、
恋人と喧嘩するとか、大切な人を亡くすとか。

しかし……それはバチじゃなくて日常だ。

そもそも、私はそんなにバチがあたると言われるほど、
悪いことを日々するような子どもではなかったし、
「そんなんしたら」と祖母に言われたことの「そんなん」が
なんだったのかも、覚えていないし、思い出せない。

もう、バチを怖がって生きていくのは、やめようと思った。

***

「今日は飴ちゃんの代わりにええもん、あげる」と、ある日、
お墓参りが終わった車中で、祖母が言った。

幼い私は、なにかすごいモノ(物)がもらえると思ってワクワクした。

「大人でも嬉しいもん?」
「そりゃ、大人でも誰でも嬉しいで」
「えー、なんやろ、ええもんって」

祖母は、そのひんやりした手をそっと、
私の頭に置いた。

驚いて、ビクッとした私の頭を、祖母は優しく撫でた。

「ええもんて、これ?」

私は恐る恐るきいた。

「そやで。撫でられるのが誰でもいっちゃん嬉しいやろ?」と祖母は満足気に言った。

小さな私には、わかったようなわからなかったような。
「飴ちゃんの方が、いいで」と思ったような気もする。

でも、今の私がそのシーンを思い出すたび、胸が痛くなる。
会ったこともない、幼かった祖母の頭を、
誰かの代わりになでなでしてあげたかったような、
そんな気持ちが沸き起こる。


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