「自由の暴力」(旧題:自由の代償)/ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督(1974)
国内盤DVDは高騰しているため、Criterion版(英題:Fox And His Friends)を買ってきたところで、日本でもファスビンダー傑作選2024で上映されるということで、まず映画館で観たあと、家でCriterion版を観ています。
「以下ネタバレも含みます」
公園に設置された見世物小屋の呼び込みから映画が始まります。
見世物小屋のオーナーと思しき司会者が、3人のストリップ嬢(1人はイルマ・ヘルマン!)を紹介し、「本日の目玉の出し物は、胴体のない生首が、しゃべります!」と叫ぶところで、警察が登場し、オーナーは逮捕されます。その時、舞台に出てきたのが、ファスビンダー演じるFOXという名の生首役の男。そして、そのオーナーの男と別れを惜しむように熱い接吻を交わします。この時点でファスビンダーの世界は全開になり、映画に引き込まれていきます。
加えて、彼の盟友ダニエル・シュミット監督の「ラ・パロマ」に出演していたとっちゃん坊やな怪優ペーター・カーンやイングリッド・カーフェン(ファスビンダー の元妻であり、その後、エディット・ピアフのカバーで人気を博す人で、映画に出演すると大体歌います)などがワーキングクラスの同性愛者のバーにたむろしたりとファスビンダー の私生活と繋がるような世界が展開されます。
FOXと呼ばれる男は、本名はフランツ・ビーバーコップという名なのですが、これは、ファスビンダーが10代の頃より、シンパシーを寄せた小説で、その後、計15時間近くに及ぶテレビドラマを制作する「アレキサンダー広場」の主人公の名前と同じです。その後、見世物小屋は解散し、無職になったFOXは、10マルクを借りて、ロトにあたり、大金持ちになるわけですが、金持ちの同性愛者コミュニティに参加、そこで自らの階級との違いに大きな違和感を感じながら、彼は、今まで着ていた背中にFOXと銀ラメで書かれたジージャンを脱ぎ、金持ちの仲間が行きつけの店で、新しいファッションに身を包み始め、ロトで儲けたお金は愛人の父が経営する工場の経営危機を助けたり、豪華な家具や調度品を集めた新居の購入でどんどん搾取されていきます。
彼が部屋でひとりになる時、流れるレナード・コーエンも沁みます。
遂に彼は騙されたと気付き、愛人に金を返すよう迫る時に、我々取り戻したようにFOXのジージャンを着ていますが、取り合ってもらえず、失意の中で、薬を大量摂取し、地下街のようなところで、野垂れ死んでしまいます。しかし、自分らしく亡くなったはずの彼は、そこで安住できず、通りがかりの子供にポケットに積み込んだお金だけでなく、自分らしさの象徴であるFOXのジージャンも取られてしまいます。
こうしてみると彼の自叙伝のように感じられる映画ですが、僕が感じる彼の凄さは、そんな彼の”どうしようもない 救いようがない”世界を身近な俳優と設定で描きながら、ある時代にある階級に生を受け、その時代に翻弄させられながも生を営むという人間として避けられない運命の構造を浮かび上がらせているところだと思います。その時代、権力、社会システムに翻弄されながら、苦悩し、惨めにそこから退場する”魂”たちを冷徹に描きながらも優しく見守る視点であり、
彼の作品は、短い生涯にも関わらず、大量にあるため、観れるものから観てきましたが、「シナ・ルーレット」の頃から、麻薬に溺れ始め、それが彼を死に至らしめるわけですが、彼の作品も今までの厳密な構成が崩れ始めるとともに、麻薬による恍惚状態のような幻想的なシーンが多くあらわれるようになることを考えると、
この作品は、描かれているものはショッキングではあるものの、映画の構造はしっかりしていますが、最後に描かれている薬による自死が、彼の今後の作品や彼の人生の前触れだったのかもしれません。
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