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なんとなくクリスタル/田中康夫映画「なんとなくクリスタル」オリジナル・サウンドトラック


 最近よく言われている日本の労働者の賃上げそして経済力の向上や人口減の解決策として、日本はもっと提供する商品やサービスに付加価値をつけ、高単価で売らないといけないという話が、よく出て来て、その通りだとは思うのだけれど、ふと、80年代に注目されたフランスの思想家ジャン・ボードヤールが、彼の著作「現代消費社会の神話と構造」の中で、語った現代消費社会は「差異化」「記号化」という話の延長線上の話じゃないと気ついて、もう一度、バブル崩壊前夜であったそして自分も“消費しまくった”80年代について考えてみようと思いはじめました。
そして、最近見た映画のタイトルが、同じくフランスの思想家ロラン・バルト
が当時の日本文化を論じた「表徴の帝国」から取られ。その中で、「ヨーロッパが記号を意味で満たそうとするのに対し、日本では意味の欠如を伴い、テクストの意味から切り離されたことで、独自のイメージの輝きを持つものとなる」と書かれている言う話をその映画のパンフで読んだとき、真っ先に思い出したので、そんな時代の東京に住む大学生の生活を「なんとなくクリスタル」でした。この作品が出たのは、1980年。そして一橋大学時に書いたという田中康夫さん僕より6歳年上。もちろん、この作品が賛否両論を巻き起こし大ベストセラーとなったことも、映画化されたこともはっきり記憶にありましたが、、そこで取り上げられるAORという音楽ともども、自分より少し上の世代の志向であったため、「なんとなく」という当時のムードには、共感するものの、自分とは、違うという気持ちで、読んだことがありませんでした。
そこで初めて、読んでみたわけですが、言われている通りこの本の特徴は、本文と同じくらいの分量のNoteによる本文に出てくるブランド、レストラン、音楽、カタカナ用語の説明。表向きは、東京に住む大学生にしかわからないような「記号」の注釈です。
本文では、青山に住みモデとしての収入がある女子大学生のライフスタイルや彼女が感じるムードを一人称で淡々と語られているのに対して、Noteでは、用語の解説だけではなく、その情報をカタログとして、追随する人たちを批判的に語っているような、二重構造になっていることに気付きました。
そして、その後映画化され、そのサウンドトラックが発売されましたが、様々なアーティストが集められているためか、契約の問題で、CD化は、いまだされておらず、レコードの価格も高騰気味。そしてそのアルバムに収録されている作品の中で、Boz Scaggs,Toto,The Isely brothers など重要な作品は、実は原作では出てこないことに気付きました。
(Spotifyで原作および映画のサントラ収録曲をカバーしたソングリストを作ってみました。)
すべてが記号による差異化の時代であり、また、日本はその記号が独自のイメージで輝いていた日本の80年代。もっと深堀したくなってきました。


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