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『シェイン 世界が愛する厄介者のうた』Crock of Gold: A Few Rounds with Shane MacGowan


年末にケルト系のミュージシャンを呼ぶ10年以上続くイベント“Celtic Christmas”。
今回は、ザ・ポーグスのフロントマンを務めたシェイン・マガウアンのドキュメンタリーも上映されるということで、楽しみにしていたところ、シェーンが亡くなったというニュースで、追悼上映となってしまいました。(その後のピーター・バラカンのトーク・ショーもトム・ウエイツによるシェーンのSNSでのコメントの説明から始まりました)
この映画は、アイルランドからの移民の両親から生まれたシェーンが、夏休みを過ごしたアイルランドにある祖父母の影響のエピソードから始まります。カトリックの信心深い家庭で、彼は学業優秀だったらしく、聖職者になることを望まれいたそうですが、おばあさんに5歳の時から教えられたタバコと飲酒とともに福音書を読んでいたそうです。学校でも読書や歴史が好きで成績もトップクラスにも関わらず、校内で、生徒にドラックを売ったことがバレて退学。子供のころから凄い人生ですが、その後、パンクと出会い、バンドとしては成功しないものの有名人に。その後、パンクが下火になるも、彼にとっては退屈極まりないニューロマンティックの流行に嫌気がさしていた頃は、ワールドミュージックの流行をしり、自分の国の音楽をやろうと思い立ったそうです。バンドの成功(特に「Fairytale of New York」 の大ヒットと新しいマネージャーによる過密ツアースケジュール)以降、その繊細さ故、アルコールにお溺れ、バンドを去ることになるわけです。
この映画の素晴らしいところは、イギリスの搾取に苦しめられ、1940年代には、飢饉により、半数の人が、国を出なければいけなかったこと、そして、アメリカに渡った人が、差別に苦しみながら、社会を底辺から支えたこと、また、アイルランド独立戦争による血の日曜日悲劇、それでもいつも音楽とダンスと共に生活したアイルランド人の歴史。そして、若者の社会への不満のはけ口となったパンク・ロック、自らの民族の歴史や音楽を見直したワールド・ミュージックの流れの中で、90年代世界的に人気を呼んだアイリッシュ・ミュージック。そんなアイルランドの歴史や社会の変化により現れた音楽の流行の大きな流れが、シェーンの人生と重ねられて、そして、彼が、それを唄にする希有な才能があったことが描かれています。
ダブリンの街ではどこの店でも公的施設でもポーグスの曲が流れていたし、裏通りで見つけたアイルランドを代表する世界的文学者 オスカー・ワイルド、W.B.イエーツ、ジェームズ・ジョイス、サミュエル・ベケットの肖像画の近くにシェーン・マクゴーワンの肖像画とアイルランドからの移民のカップルがニューヨークでささやかにクリスマスを祝う「Fairytale of New York 」の歌詞がありました。アイルランド人に愛された市井の詩人。パンクスでありながら、ダブリナーズやクリステイン・ムーアとも共演したアイルランド音楽の継承者。MZA有明で観たザ・ポーグスの初来日公演で酒とタバコにまみれて歌う彼を思い出します。R.I.P.


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