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絶品!奈良でほんまもんを味わう

ごちそうになったランチは、私が世界一美味しいと思うお店。
味の旅人浪漫
「今、ここ」を大切にされている為、写真撮影は禁止となっています。
ので、記念の写真が撮れないのがいつも残念なのですが、上記のリンクに特別に撮影された方のブログがありますので気になる方はご閲覧ください。

味付けは最小限、素材の味が最大限に生かされるよう、匠の技で調理されています。薄いか濃くなるかのギリギリのギリのライン、絶妙なラインで見事に完成されているので、物足りなかったり、後で胸やけするようなことがありません。

今日の一品目は胡麻豆腐。
材料は胡麻、葛、水。
当日の朝、胡麻を丁寧にゆっくりとすることから始める。
「急いだらアカン。ゆっくりやで。と胡麻をすっていたら、胡麻が教えてくれた」とおっしゃる。

以前書いた、永平寺に学ぶ食のお作法の三原則を思い出した。


材料と本気で向き合う。
調理方法と本気で向き合う。
お客さんと本気で向き合う。


一度味わうと、本当に概念が変わります。
胡麻豆腐ってこんなに美味しかったんだ、〇〇ってこんなに美味しかったんだの連続です。

最初から最後まで素晴らしい。美味しさのあまり最終的に言葉が出てこないほど、とにかく全身全霊で美味しい。

「素材の天然物は重宝されるのに、人間は天然やったらアカンらしいなぁ~!笑」
「お客さんに喜んでもらえへんかったら、こんな大変なことやってられへん。笑」
「素材は美味しいどことりせずに、まるごと食べると、身体にええように出来てると思うねん。ええとこ取りするから、不具合が出てくる。」

今日で3回目でしたが、いつも私の魂に沁みる言葉を何度も発してらっしゃいます。

こんなに美味しい物を提供して、ミシュランを獲得しているのに、一品一品お客さんに「どうですか?いけてますか?」と話しかけ、
味付けや出来上がるまでのストーリーを惜しみなく話してくれたり、冗談を言ったりと、まったくおごりのない、素敵な笑顔の本物の料理人です。


初めて訪れたのは2022年12月。
癌の進行で唾も飲み込めないような状態になり一度目の生死の狭間を乗り越えた後、ようやく普通に食事を楽しめるようになって友人とクリスマスランチに訪れました。

ご主人の姿を見た途端、光って見えました。
「あ、ほんものや。」


ほうれん草の胡麻和え。
ほうれん草の根っこを丁寧に洗って、すりつぶしてそこから出た甘味を生かす。味付けは胡麻とちょこっと醤油だけ。
感動して、思わず手を合わせて感謝しました。

銅釜で炊かれたご飯を一口頬張った時、炊き立てのお米の温かさ、口の中でほろっとほどける感覚、香りと甘味。。。
生きていること、ご飯が食べられることに涙が出ました。


最後にクリスマスだからということで電気を消し、立派な和蝋燭に火をともし運ばれてきたのは、焼きリンゴに牛乳を何時間もコトコト煮詰めて作ったキャラメルアイス。生クリームとか砂糖とか使ってないのに、ほんのり甘くて優しくて。

目の前で手を合わせて、来年の健康をお祈りします。と一礼するお姿に、胸がいっぱいになりました。

それから、このお店を【神様ご飯】と称しています。


2023年、年始に入院して2度目の生死の狭間を越えた3月。
お祝いにSaoriが私に神様ご飯に行こう!と誘ってくれ、ごちそういただきました。
ちょうどお雛様の季節だった為、特別なお料理に目も舌も細胞も、魂も全てが大喜びだったことを覚えています。
食後に訪れたカフェ、ヴィラージュ川端はおいしさと健康を追求するため
素材を大切にする「安心・安全・美味」がテーマの洋菓子店。香料やベーキングパウダー、重曹などの膨張剤は一切使用していません。
ケーキもさることながら焼き菓子も絶品!
素材の良さに加え、味が最高に良いのでオススメです。


食事前に、白高大神を訪れました。
廃神社や心霊スポットとも知られる場所ですが、多くの方が清掃活動に携わり、聖地としての元の形を取り戻しつつあります。

グーグルの写真では荒れて不気味な感じのする場所で、普段なら決して立ち寄らないであろう場所なんですが、なんとなく行く必要があるように思われました。

道に迷いながら、やっとたどり着いたその場所は。。。。
やはり少し不気味でしたが、奥にある滝までいくとまるで違う場所のようにとても神聖で安心感に包まれていました。

白高大神がどんな場所かというと、伏見稲荷に認められた新興宗教の聖地だったそうです。
8才で自身に神が降りるという体験をした中井シゲノさんという方は、巫女であった大叔母の元で修行を続けていました。
結婚して2人の子供にも恵まれ暮らしていたある日、子供の足が目にぶつかり両目を失明してしまったそうです。

失明してからも滝行を続けていたある日、真っ暗闇の中に白い光が見え、それは白いキツネ(白高様)でご真言を授かり、なけなしのお金をはたいて大阪のとある神社へ向かいお社を授かったとか。
視力も回復したそうです。
修行により心眼が開いた彼女は、それから自身の一生を神と人のはざまに立つ巫者、民間の祈祷者として生き抜きました。

肉体が絶えた今でも、その魂は滝行を続けているそうです。

フランス人による書籍も出ています。
【神と人のはざまに生きる】アンヌ・ブッシイ


本物は変化してもメッキが剥がれることはない。
真実は変わらない。

情報に惑わされずに感覚を大切に、
心眼を開く。
【真実を見る目を養う】という大切な教えをいただきました。

自分と向き合えば、自分が教えてくれる。
素材と向き合えば、素材が調理方法を教えてくれる。
自然と向き合えば、自然が教えてくれる。

真に何かに向き合った時、そこには自ずと見えてくるものがあります。

ごちそうさまでした🙏✨

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