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リアルかオンラインか

私の職場では絶賛オンライン継続中である。もうすっかり慣れてきて、逆にリアルに戻ったときにすぐ適応できないんじゃないかと思う。

私のいる業界では、リアルの良さを再構築しなければ、ということが話に出るものの、オンラインでやってる現状では、なかなかピンと来ない。(9月にそのテーマの研究会に行く予定)

リアルとオンラインはだいぶ違う。

リアルでは五感がフルに使えるから、そこからコミュニケーションのヒントをたくさん得られる。しかし、その現場に足を運ぶ面倒くささがある。

オンラインではデバイスに向かうだけですぐに現場にアクセスできる。しかし、リアルよりもコミュニケーションをとるときに妙な緊張感を感じてしまう。ただ、オンラインのコミュニケーションに慣れると、リアルのコミュニケーションが楽に感じられて、なんか、自信が出る場合もあるんだよな。(ある学生がそう言ってたし、実は私もそれを感じる)

結局、人によって、科目によって、リアルがいい場合とオンラインがいい場合があるし、教育機関や社会の状況によって方法が勝手に選ばれる場合もある。いずれにせよ、見失っていけないのは、授業の目的やめざすところであって、それをベースに組み立てるのは、リアルでもオンラインでも同じ。

ぐるぐる考えていると、リアルとオンラインの共通点も相違点も出てきて、なんだかまとまらない。

そこでふと、本屋とAmazonが頭に浮かんだ。

10年以上前は、せっせと本屋に足を運んでいたけれど、今はAmazonの台頭でどんどん大きい本屋さんがなくなっている。悲しいけれど、たしかに自分は最近Amazonでしか本を買っていない。

けど、わざわざ足を運びたくなる本屋さんがある。たとえば、京都の恵文社。京都に行ったら必ず立ち寄る場所。あとはビレバンの本のコーナーもよくのぞきがちだ。

恵文社とビレバンの共通点は、置いている本を選んだ人の考えや人となりがふわっとわかることや、長く居たいと思わせる雰囲気、だと思う。個性的というか、なんというか。「恵文社だから行きたい」「ビレバンだから行きたい」という、「らしさ」や「個別性」が、今後のリアルには必要なのかな。

だとすれば、私の授業にも「私らしさ」が必要なのかな。私らしさが出る言語教育とは、一体…?

私がよく考えることは、自分自身についてや、「なぜこうなったの?」という背景。あと、他の人の仕事観やライフストーリーを聞くこと。このあたりのエッセンスを加えたら、私らしい授業になるのかな?

とはいえ、リアルに戻るのはまだまだ先だろう。けど、リアルに戻ったときに、このあたりを実践してみようかな、と思った。

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