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これはもう声をあげなきゃだなと思った

個人的に、今週は森氏の発言に考えさせられた1週間だった。

女性蔑視発言の報道を朝日新聞の記事で読んだとき、怒りが体中をかけめぐった。(年に1,2回、体中の血管が沸き立つような怒りをおぼえることがあるのだけど、今回はそれだった)(実は森氏発言の報道の直前、台湾のオードリータンの本を読んでいたので、政治家の資質のその落差に、がっくりきてしまったのだった)

けれど、衝動的にSNSに書き込んだり、人に思いを吐き出すように話したり、してはいけないと、自分を止めた。とはいえ、何も言わないのもおさまらない気がしたので、何人かの女友だちに、どう思うか聞いてみた。(こういうとき、すぐに議論できる男友だちを持っていないことが悔やまれる)

ちなみに、はじめの時点での私の感じ方は、「なぜ男性にそんなこと言われなきゃいけないのか」、「すぐ年配の男性は、女を馬鹿にするので腹が立つ」、「会議での発言時間の男女差について、どうせ思い付きで言っているのだろう(論理的な根拠など、ないのだろう)」、「会議の時間については、男女云々ではなく、会議の進め方やファシリテーションの工夫で、いくらでも効率的かつコンパクトにできるだろ」などであった。

女友だちにいろいろ聞いてみたところ、ある人は、記事の書き手の意図を探っていた。これは男女の分断をあおっているのだろうかと。私は、彼女に「すぐに怒ってしまって恥ずかしい」と伝えたのだけど、「そういう人もいれば、この件を流す人もいて、正解はないのでは」と言われて、少し落ち着くことができた。

またある人は、「また、ああいう発言が出たか」という諦めを持った様子でいた。その人は身の回りにも同じような人がいるので、今回は政治家の発言だし、自身に直接の影響はないと考えているようだった。私はこれを聞いて、なぜ自分が、知り合いでもない森氏の発言に反応してしまうのだろうかと、疑問に思った。

また他の人は、「この発言に関しては、ふつうにミソジニー丸出しで、女性男性限らず、差別発言に敏感な人だったら、反発する発言だ」と言っていた。

この記事に反応したときの自分の問題は、すぐに、男性に対する不信感や怒りを持ったことだと思う。「男性、もういや!」と思ってしまった。けれど、上記の3人目の友人が「性別関係なく、人間としてこれはいろんな人が怒るものだよ」と言ってくれたことと、SNS上で女性だけでなく、男性も反対する声を上げていたのを見たことから、「そうか、これは、男性に対する敵対ではなく、蔑視発言に対する反発なのか」と、気づけた。

また、ある友人に、「私が小さいころから、父親は『女子供』と、女性と若者を馬鹿にするように発言したり、『お前は親を大事に思っていない』『誰に食わせてもらってると思っているんだ』などと私を怒鳴ったり、『世間のことを何も知らない』と決めつけたりしたことから、こういうことがあると、男性に対する憎しみが爆発してしまう」と話したところ、彼女から「よくあなたは、『60代以上の日本人男性は、マッチョな世界で生きてきたから、視野が狭くて差別発言が多い』と言うけれど、うちの父は70代ながらまったくそういう発言はしない。むしろ、私と同じように、森氏を責めているよ」と言われ、また、彼女のお父さんは、彼女が「その年齢の男性なのに、仕事の能力の違いに性差は関係ないと言えるのは、すごいよね」とほめたとき、「そのようにほめられることがよくわからない、まっとうな人は、性別年齢関係なくいるし、おかしい人も、性別年齢関係なくいるから」と言っていたそうで、この話を聞いて、ちょっと、雷に打たれたような衝撃を受けた。「そうだ、性別年齢は関係ない」と。そして、「私は、森氏が女性に対する偏見を持つのと同じように、年配の男性に対する偏見を持っている」と。

自分の家庭環境が原因で、そのせいで(そのおかげで)高校生の時から、性役割分業について考えるようになり、「男性に経済的に頼るのはやめよう、そうでないと自由でいられない」「自立した人間になろう」と思い、実行してきた。また、10代の時から、年配の男性政治家の失言を聞いてきているので、それもあって年配男性に対する不信感がある。(森氏が首相をしていたときに失言が繰り返されていたときも、10代ながらにいらいらしていたことを覚えている)

けれど、こういうことがあったときは、それを発言した人の属性に目を向けるのではなく、発言の内容とその背景を指摘しなければならないのだなと、今回学んだ。

森氏の発言の報道から、SNS上で反発する意見が多発し、署名活動が展開され、駐日欧州大使館をはじめとする各国大使館や国連広報センターが”Don't be silent”というハッシュタグでメッセージを発信するまでに至った。”Gender Equality”と ”Generation Equality”というメッセージも合わせて掲げられているのもよく見る。これらのメッセージには、大変勇気づけられたし、同意する。これからは、「女性」だけに着目するのではなく、広く人々が平等な権利をもって活動することをめざす意味での、フェミニストでありたいと思った。

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