見出し画像

きらいなわたし。いつかのわたし。

こんばんは。
これを書き始めた今日は昨日の友達と1日ゲームして遊んで楽しい時間の反動で、少ししょんぼりしている夜を過ごしています。(思い出した。ボンバーマンした次の日に描き始めたんだ。1/22)
これを書き切るには少し時間がかかるかもしれません。(言葉を選びながら少しづつ書いていたので1ヶ月くらいかかってしまった…🥺)
Twitterで見ている方は分かるかもしれませんが、私は基本的にのほほんと生きています。
でも、今の私がいるのは過去にきらいな私が居てくれたおかげです。
今日はそんな過去の自分について書きたいと思います。

✎_________________

下を向いて歩く人間でした。
電柱にぶつかることがあっても下を向いて歩くことが辞められませんでした。

気持ちも下を向いていました。
何をしても悪い想像ばかりが先立って、人の視線に怯えていました。
だからなるべく人と目を合わせないように下を向いて歩きました。
ぶつかっても転んでも、それを見て笑ったり可愛そうに思う人がいても、見えなければ何も怖くないと思っていました。

なぜそんな癖がついてしまったのか?
はっきりこれというものは無いと思います。
思い当たる事があるとしたら1つだけ。
私の幼少期~中学生まで育った環境は一般的?な環境とは少し違っていて、すごく田舎だったので"住んでる人みんな知り合い"で小中も全校生徒の顔と名前を把握出来る位の人数しか居ませんでした。
つまり私が触れ合う人との世界はそこにしかなくて、学校なんて授業も昼休みもずーっとみんな一緒だし顔ぶれが変わることもなかった訳です。
そんな中で人間関係のトラブルが起きた時は最悪でした。
相手とは気まずい関係のまま、周りの人達からも何となく避けられるようになり、そのままぼっちコースです。
数える程でしたが、それでもまだ幼い私にとってそれは"下を向いたまま歩き続ける人間"になるには十分すぎるダメージでした。

そんな環境下に居たので、自分の居場所を守るために人間関係のトラブルや人の感情にはすごく過敏になりました。
結果、人の視線を気にしすぎて下を向いて歩くようになりました。
自分の言動で人がどう思うのかを考えるあまり、被害妄想を頻繁にするようにもなっていました。

被害妄想がどんな感じだったのかと言うと、外に出かける時に自分の服装を必要以上に気にしたり、他愛もない話をして笑っていたはずなのに、すれ違う人とたまたま目が合っただけで(あの人に絶対変なやつって思われた…。)と感じて勝手に落ち込んだり…本当に酷かったです😂

そんな時、一番に笑い飛ばして励ましてくれたのがたまごママでした。
私が人の目が気になって気になって仕方がなかった時に、たまごママは私に向かって笑いながらこう言いました。

『あんたのことなんて誰も見てないよ。』

ここだけ聞いたら酷い言葉みたいに思えるけど、私にとっては衝撃的でハッとさせられる一言でした。
過剰に気にする私にとっては「気にしすぎだよ。」なんて在り来りな言葉じゃ足りなかったんだと思います。
それからたまごママは私が気にして落ち込む度に、この言葉を呪文のように何度も唱えてくれました。
たまごもそれを復唱する内にだんだん人の視線を気にせずに生きられるようになりました。
中学を卒業する頃にはこの癖はほとんど抜けていて、今ではこんなにも楽しく明るい毎日を過ごすことが出来ています。
そばで見守ってくれた家族はもちろん、これまで築いてきた交友関係の中で変わっていった事です。
でも、きっと本当はあの特殊な環境から抜け出せた事が1番だと思います。
楽しいことも沢山あったけど、あの頃を何度思い出しても(あんな過去にはもう二度と戻りたくない。)と感じます。
でも、その分私は人よりも前を向いて歩けていると思ってます。
それに過去には嫌な思い出しかないと言ったけど、私が嫌な現実と自分を抜け出した所が新たなスタート地点だったとするならば、そこから今までの間に嫌いな自分を好きな自分に変えることが出来たし、上書きできるくらいのいい思い出や素敵な人にもたくさん出会えました。

あの頃の気持ちを忘れないで、嫌いだった自分も抱きしめてあげられるような強くてやさしい人間になれるようにこれからもアップデートしていくぞ💪

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?