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母になるということ。

自己対話を繰り返してきたここ数年。

たくさん自分の中の未消化の(気づかないままにしていた)感情を出しては泣いて癒してを
何度も何度もやってきたから、もうだいぶ自己対話できてきたなと思っていた。

が、がが、やっぱまだありますよね。

インナーチャイルドってやつですね。
ほんとに今の自分を作っているのは子供の頃なんだなと思います。
特に母親とのこと。
これはほぼ皆さんもあると思います。
子供の頃(7歳8歳くらいまで)って世界がお母さんだから。

私自身は母に対して特別な感情がないと思っていたんですが、
まだ気づかないふりしてた子供の頃の声があった。
(だいぶ出したんだけどな〜)

これって自分の中の本当の声だから聞くのって結構ヘビーだったりもします。
私もゲロゲロしながらそこに向き合ってきました。

でも感情は気づいたら終わり(癒される)なので、自分で気づいた後はスッキリしますよ。腑に落ちるって感覚です。

私は子供の頃の記憶はほぼないんですが、これは辛いことばかりだったから自分で意図的に消しているんだと思います。
これも生存するために必要なこと。(特に子供は)

でも受け入れれる時が来たら、聞いて認めて抱きしめてあげるとその時の苦しみは癒されていきます。そして無くなります。

私は子供の頃から大人ぶった子でした。
世間的には「しっかりした子」。
私自身は冷めていたんだと思います。早くから絶望していたから、世界を冷めた目で俯瞰して見ていた子供でした。(イヤな子〜(笑))

大人のこともどこかで馬鹿にしてました。

でもそれもこれも全部、お母さんに愛されたくてしていたことでした。
(当時はそんなこともちろん気づいてませんよ)

私の母はずっとずっと働いていて、家にはほぼいなかった。
父が体が弱くて、母が代わりに働いていたのでそれはしかたのないこと。
物心がついた時からの当たり前だったから、それをただ受け止めていた。
でも自分でも気が付かない本音はあった。

ほんとうは
お母さんがいなくてさみしい。
お母さんに家にいてほしい。
お母さんに「おかえり」って言ってほしい。
お母さんと一緒にいたい。
お母さんに見てほしい。
お母さんにかまってほしい。
お母さんと手をつないで歩きたい。
お母さんによしよしって撫でてほしい。
お母さんに抱きしめてほしい。
お母さんに会いたい。
お母さんに愛して欲しい。

そんな気持ちに気付いてしまったなら、心は壊れてしまうから、
そっと奥に奥に私自身も見つけられない場所に隠した。

その代わりに違う考えを植え付けた。
これが根付いて観念になってしまうんです。
潜在意識に植え付けた思い込み。

【しっかりしたらお母さんに愛してもらえるかもしれない。】

この観念(思い込み)を自分だと思ってこの先生きていってしまうんですね・・・。
かまってくれなくても私は平気だよ!だって私は強いししっかりしてるでしょ!ってね。
この自分を本当の自分だと思い込んでしまう、その奥に本音を隠したことさえ忘れてしまう。

かまってくれなくてもいいよ、お母さんは大変なんだから私がしっかりするよ。
だから大丈夫だよ。そう言い聞かせて嘘の心で自分を作って成長していった。

嘘は叶わない。

お母さんへの望みは叶わなかった。
どんなにしっかりしても強くなっても
お母さんはいないままだった。

私はただお母さんに愛して欲しかった。
私は子供でいたかった。

家に帰るとお母さんがいる家の子が羨ましかった。
私はいつも1人だったから。

さみしくてさみしくて家の中に1人でいるのが怖くて、ずっと公園の滑り台の上にひとりでいました。家に誰かが帰ってくるまでずっと。
雲を見てるて不思議とさみしくなかったな。

お母さんをどんなに求めてもお母さんはいない。
それは仕方のないことで、頭ではわかっているから心を閉じた。

もう奥に隠したことさえ忘れていたけど、自己対話でふいに出てきました。
ほんとにタイミングで出てくるから、自己対話って面白いです。

私も気付いていない私の本音、

お母さんに『お母さん』になって欲しかった。
お母さんとして、私を娘として愛してほしかった。

これは出てきた時ちょっとビックリしました。
私はお母さんに「お母さん」になって欲しかったんだなーって、家にいて帰ってきたらお菓子を出してきてくれたり、学校の話を聞いてくれたり、そんなお母さんになって欲しかったんだなーって。

知らんかったわ・・・。

涙とまらんかったよね。
聞いてあげたらあの頃の私は癒されて、今の私はスッキリ。
あー、泣いた泣いたって、すごい謎解いた後のダヴィンチコードのトムハンクスか、名探偵コナンばりにすっきりしてる……。

私の想いを聞かせてくれてありがとう、私。
私の想いを聞いてくれてありがとう、私。

これ自己対話です。

で、ここで終わりじゃなくて新しい想い、自分の新しい声もわかるんですよ。
気づく、思い出すって方があってるかも。

私はお母さんにお母さんになって欲しかった。
お母さんとの思い出で2つだけ大切に大切に覚えていたことがあって、そのときを感じてみたんです。宝物箱の奥にあるような思い出。

そしたらじんわりあったかくて、しあわせで、愛されてて、私はすごく嬉しそうに笑っている…

あー、お母さんが私のお母さんで良かった、
この人から生まれてきて良かった。

この人の体から生まれてきた時に、私のお母さんにお母さんになって欲しいという願いは叶っていたんだと気がつきました。

お母さんのお母さんとしてのピークはそこで終わっていたんだと気付きました。
私を産んだ瞬間にお母さんは私のお母さんになって、私のお母さんに望むすべてはそこで叶っていた。

だからもうお母さんに望むものはなかったんだ…。
もう私の願いは叶っていた。

私の中にあった本当の想いは、

お母さんの体から生まれてこれてよかった。
お母さんが私のお母さんになってくれてありがとう。

私はこのお母さんから産まれてきたかったんだ、そしてそれを叶えてくれてありがとう。

私はお母さんを私が選んできたと思いました。
ただみんながみんなそうだとは言い切りません。
それは人はそれぞれに決めてきたことがあるから。

これはたまたま私の気づいた(思い出した)ことです。
ただお母さんという存在は確実にその人のナニカに影響を与えていると思う。

それくらいお母さんという存在はすごい。
私は母になるということを今まで以上に考えました。

そしてもし私が母になるなら、その子は私にどんな想いを決めてきてくれるのだろうかと…

それは私にとっていまはまだ小さな光だけど、
たしかなあたたかさを私に灯してくれている。

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