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いつもありがとうございます。店主の三浦です【これまでのこと、これからのこと】

各種SNSへの投稿にいいね!シェアをしてくださる皆さん、当店にご来店くださる皆さん、いつもありがとうございます。店主の三浦です。

普段はお店やメニューに関する投稿をしておりますが、今回は趣向を変えて、私について少しお話したいと思います。たまごのじかんが生まれるまでのヒストリーや、今後の展開について書き綴りました。

農業への想い

私の母方の祖父は農家でした。
幼いころは家族と一緒に農業をする祖父のもとを訪れて、農作業の手伝いをするのが楽しみでした。祖父は農業の面白さ、農業の大切さなど、さまざまなことを私に教えてくれました。

そんな祖父の背中を見ていた私は、いつの間にか「いつか農家になる」ことを夢見るように。

しかし当時、農家になれるのは農家の子どもだけ。私の父は農家ではなかったので、この夢は一時断念することに。それでも、「近い将来、だれでも農家になれる時代が来る」という確信がありました。

農業に近い仕事に。農業協同組合に入組

いつか農家になる!そのために、まずは農業の現場に近い職業に就こうと農業協同組合に入組。1988年、22歳のことです。農協の仕事を通して、農業に関するさまざまな情報や情勢を知り、自分が目指す農業と経営の形が見えてきました。

その時に考えたのが、農産物を生産するだけでなく、加工や販売も一体となった総合的な事業経営です。気が付けば32歳。この時点では、「何を生産して加工し、どんな商品をどうやって売るのか」など、具体的な構想はありません。

やるべきことが見えてきたので、次は加工と販売のノウハウを得よう!と、農協を退組して洋食店で働くように。働きながら、大阪の調理師学校で西洋料理を学びました。

そして2001年、35歳当時に現在の場所でとうとうレストランを開業したのです。

たまごのじかんとトマトづくり

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「たまごのじかん」は、地元産のトマトを使ったトマトソースづくりに力を入れているレストランです。さらに、トマト自体も私が生産者さんに直接お願いして栽培してもらっています。生産者さんに栽培してもらう前は、実は自分でトマトを生産していたこともあります。

このお店を開く際、トマトソース(加熱調理)用のトマトは国産のものを使いたいと考え、国産の加熱調理用トマトを探す日々。しかしなかなか見つからず、当初は輸入のトマト缶を使ってソースを作っていました。

おいしいトマトに出会うまで、あきらめずに挑戦し続けた日々

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それでもどうしても「国産トマト」をあきらめられなかった私は、国産の加熱調理用トマトについて調査・研究を続け、最終的に自分で生産することを決意。2008年、42歳の時のことです。

早速、この地で栽培できるおいしいトマトはどの品種なのか、見極めるための試験栽培を開始。試験栽培の間、すでに北見で生産されている生食用のトマトの規格外品を使ったトマトソースづくりにも着手するなど、さまざまな挑戦を繰り返す日々。

試行錯誤の末、現在は長野生まれの品種”なつのしゅん”を使ったトマトソースに落ち着きました。自分でトマトを栽培したことで、トマトの生産を委託している農家さんにも、なじみのない加熱調理用トマトの栽培方法をレクチャーすることができました。

これからのこと【地域の自慢に】

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農家になりたい、その夢を胸に秘めてがむしゃらに、ひたすらに進んで30余年。気が付けば50も半ばを迎えようとしています。

私はこれから70歳くらいまでの20数年で、次のような目標を掲げて仕事に取り組む所存です。

■農業生産分野
加工用トマトを中心とした農産物の生産。委託生産を含め作付面積10haを目指す
■加工業分野
加工用トマトの関連商品を業務用・一般小売用を合わせて10~20品目製造
■販売事業分野
飲食店経営、小売販売、業務用販売、ネット通信販売で売り上げ10億円超

私にとって、北海道、オホーツク、北見、この土地とそこに根付く農業はとても大切なものです。私が事業を進めていくことで、地域に貢献できればこれほど嬉しいことはありません。

地域の人に役立ち、喜ばれ、そして地域の自慢になる。そんな商品を作って、事業化していきたいと考えています。

これは今の私にとってはとても大きな目標です。それでも、チャレンジしていきたい。達成に向けて、着実に一歩、また一歩と進んでいければ。そして、この志に共感してくれる次の世代にバトンを渡していきたいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
オホーツクトマト食堂 たまごのじかん 店主 三浦 サトシ

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