スプラ3#02 スプラの『不確定要素』の多少と、「満足/不満足」

こちらの記事を見て、連想したことを衝動的に書いたので、まとめました。
固い文章になっているので読みにくいかもしれません。ごめんなさい(;^ω^)

スプラは、「『不確定要素』の中で、『自分がコントロールできる部分』を探すゲーム」

スプラトゥーンというゲームは、「『不確定要素』の中で、『自分がコントロールできる部分』を探すゲーム」とも言えると思う。

『不確定要素』が多いデメリット


 
この『不確定要素』が大きいほど、「『自分がコントロール出来る部分』の物理的限界」と、コントロール出来なかったときの「不快感」は増す。なぜなら、「コントロールできなかった」時に、その『不確定要素』が大きく見えるからだ。
 
例えば、10戦やれば、確率的に、編成事故に3連続で当たる可能性もあるし、3連続で相手が編成事故に会って、楽に勝てる可能性もある。マクロで見た時、実は条件は変わらないのだが、そこは人間なので、「どうあがいてもコントロール出来ない不快感」が混じりこむ。
だから、順当に考えれば、超高パワー帯の人たちは、これを望むかもしれない(カニタンクへの不満を見ていると、これも怪しいのだが)。彼らは、試合を自分が支配し、『自分がコントロールできる部分』を可能な限り多くしようと挑む者達であり、それが出来ないときの「不快感」を誰よりも味わってきた人達だから。
 
これが、この方の言う、「TPS要素」に当たるだろう。(ただし、これをTPS要素と呼んで良いのかは、やや懐疑的である。)

不確定要素のメリット


 
一方で、この『不確定要素』の大きさは、『自分がコントロールできる部分』の「種類」と、良い意味での「運」という要素を生み出してくれる。
 
例えば、初心者がたまたま勝てて、楽しさを知ること。例えば、キャンプやパブロといった特殊武器や、特殊戦法に効果があること。例えば、大事な試合で格上と当たり、緊張で失敗し、でも何故か勝ててしまったこと。例えば、勝てそうもない編成で勝ち筋を探り、ナイスとカモンしか交わせない味方と上手く連携して、勝つことが出来たこと。
 
これらから言えそうなのは、
①  「大逆転劇」「大番狂わせ」は、やられた側への不快感が大きい一方で、勝った側に貴重な経験をもたらす(初心者の例や、格上試合の例など)
 
②  『不確定要素』が多いからこそ、『自分がコントロール出来る部分』を探し出す「楽しさ」や、その切込み方の「種類(バリエーション)」が豊富になる。

自分が、「『不確定要素』が多い方が良い」と感じる理由


 
個人的には、この『不確定要素』の多さは、スプラの性質的に重要だと思う。
1つは、初心者への門戸の広さ。Twitterを見ていると感覚がマヒしてしまうが、スプラトゥーンは、初心者への取っつきやすさ、楽しさも売りなゲームなのだ。「なんか知らないけど偶々勝てた」という経験は、何人かの初心者イカの成長を見届けてきた経験から、非常に重要であることを身に染みて知っている。これがないと、「下手な人は一生勝てず、教科書的な勝ち方を知っている必要」が出てきてしまう(玄人ゲーム化)してしまうのである。
 
もう一つは、ブキの多様さ。スプラは、とにかくブキの種類が豊富であり、いい意味で本当にバリエーションがある。どうあがいても、一つの軸では評価仕切れないほどの戦い方や特徴を持っているのである。その一方で、Xマッチといった、「試合に勝つ」という1つの軸で、それら多様なブキが評価されてしまうのが現状である。そうしたときに、「不確定要素の少なさ」=「起こり得る盤面の少なさ」や「戦い方(コントロールの仕方)のバリエーションのなさ」は、この「ブキの多様性」という個性を、殺してしまうことに成り兼ねない。「弱いブキでも勝てる瞬間」や、「弱いブキでも勝てる編成」「弱いブキでも勝てる戦い方」が著しく減ってしまうのである。
ついつい、「弱武器が来たせいで負けた」等と言ってしまいがちだが、ゲーム全体でそれもスプラの特別に光る個性である。
それらを総合して考えると、『不確定要素』を減らし過ぎるのは、スプラトゥーンというゲームの特徴上、あまりよろしくないと自分は考える。

『不確定要素』の「多少」による対比


 
まとめてこれら2つの対比を単純化すると、次のようになると思う。
・『不確定要素』が「少ない」(スプラ3的な在り方)
⇒「『自分がコントロール出来る部分』の物理的限界(例:編成事故)」、それによる「不快感」は減る
⇒一方で、『コントロールの方法』が減り一本化される(例:カニタンクまみれ)=バリエーションが減る
⇒また、失敗した時の不快感は狭くなる一方で大逆転・大番狂わせなどのドラマは生まれにくい=全体的に感情の振れ幅が小さくなる
 
・『不確定要素』が「多い」(スプラ2的な在り方)
⇒「『自分がコントロール出来る部分』の物理的限界(例:編成事故)」が増え、それによる「不快感」が出やすい
⇒一方で、『コントロールしようとする対象(=不確定要素)』の幅が広い分、『コントロールの方法』が多様であり、「対処するべき場面の数」、および「アプローチの方法」が多様になる=バリエーションが増える
⇒また、失敗した時の不快感は大きくなる一方で、大逆転・大番狂わせなどのドラマが生まれやすい=全体的に感情の振れ幅が大きくなる
 
 

 余談:ハーズバーグの2要因論


これを見て思い出すのは、ハーズバーグの2要因論である。
心理学の動機づけ(モチベーション)系の理論なのだが、これの面白さは、「人の満足には2つの軸がある」という点である。
1つ目は、「満足―没満足」の軸(動機づけ要因)
2つ目は、「没不満足―不満足」の軸(衛生要因)
 
つまり、「満足」の反対は、「不満足」ではないということを示している。
「満足である」ことの反対は、「満足ではない」(例:この会社給料は良いんだけどねぇ…。なんか楽しくないんだよねえ。)。
「不満足である」ことの反対は、「不満足ではない」(例:凄く今の仕事は楽しいけど、給料安いし、休みも全然ないのは不満)。
なのである。
 
スプラ3の在り方や、アップデートの傾向は、どうも「不満足ではない(没不満足)」を必死に目指しているように見える。それは、twitterなどのSNSが広がり、負の感情が目立つからかもしれない。そして、そのSNSの「負の感情」に従い、「無難なもの」「不快感の少ないもの」:を目指すと、自然と『不確定要素の少なさ』に行き着くのである。
 
しかし、それは「楽しい(満足)」ものだろうか?『不確定要素』の少ない、「不快感のない」ものは、ただ「不快ではないけど、楽しくもない何か」になってしまってはないだろうか?これは、不快感を声高に叫びがちな、我々も気を付けるべきことである。

最後に


 
人は、「難しすぎるもの(不満足を感じるもの)」を嫌う。しかし、「簡単すぎるもの(没満足のもの)」からもまた、無言で離れていくのだと思う。どうか、スプラ運営さんには、この難しい課題を、少しずつでも、応えていってほしいなあと思う。何もできないけれど、スプラが大好きな一プレイヤーとして。
 


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