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疲れたから、休むだけ。今日は。

自傷行為にも似た靴擦れの跡が痛む。

疲れたから、今日は休もう。

今日の日記を書こうと考えたが、疲弊も相俟って調子がよくなかった。満喫し、充実した一日をそんな状態で綴るのは何だか惜しまれるから、それはまた次回書くことにする。代わりに今日滔々と巡る陰鬱な汚れを吐き出すだけ。頭にこびり付く被害妄想の産物を書き出すだけの散文。

私は、常々身内や親しい者に、言われることがある。達成したことがないから、成功したことがないから、お前はそんなにも無気力なのだと。

まさしく、図星である。全くもってその通りである。正解だ。

私は今に至るまでの生涯において、成功した経験も目的を達成した経験も、ない。然し、最初から全て手付かずに諦めてばかりだったわけではない。道のりで挫折したこともあれば、たどり着いて尚手が届かない現実を知ったこともある。それが、私をこうしてしまったのだ。

行きたい高校は、100回受けても落ちると塾講師に言われ、全力で勉学に励んだ。最後の模試。ギリギリ届くか届かないかのラインにまでしか至らず。挑戦することはできたが、しなかった。然し、我が家の財政難や妹のことを思う。私立という保険がないことを鑑みたうえで、大人しく一つ下に下げた。それでも周りは、進学校であるから、優秀であるからと、私を偉く褒めた。嬉しくはなかった。終いには母親は、「元々こっちのほうが貴方に合っていると思った」という一言。これもまた、慰めだったろうけど。私には、「お前には最初から期待していなかった」と告られた心地だ。瓶の中身にあった必死に集め続けた何かを、無価値だと捨てられた気分。底を叩き壊されたような空虚感。忘れられない。

それでも、私は直ぐに折れたわけではない。進学した高校は、悪いところではなかった。何なら母親の言う通り、肌に合ってすらいた。それに私は案外、立った道に後悔したくないという、我の強い人間だ。ここに来たから、この高校でよかったと思えることをしたいと思っていた。それで、高校では、部活動に励んだ。運動部ならではの熱気。厳しい顧問に、強い先輩、そして慕う後輩。総合的に見れば私の高校生活…青春は部活動だ。たしかに後悔はない。寧ろこの経験こそが私だ。この人達に出会ったことを心から嬉しいと思う。けれど、また、この部活でも私は達成をできなかった。尊敬する先生に、最後まで成長を見届けてほしいという願望は、突然の死別により打ち砕かれた。先輩の意志を継ぐため、残った後輩のためと全力を注いだ残りの部活動もぼろぼろ。先生の死を機に同期は辞めていった。追い討ちのように後輩間の軋轢が生まれ、仲介するも蟠りが拭えぬ人らは辞めていった。せめて残った子だけでもと全力で支えるも、人数が足らず最後の試合には出ることも叶わなかった。

「一人でよく頑張った。」

先輩の言葉。

「お前がいたから俺は辞めなかった。」

唯一共に残った男子同期の言葉。

「先輩が頑張っていたからここまでこれた。」

後輩の言葉。

「お前はよく頑張った。」

周りの先生たちの言葉。

沢山の賞賛と沢山のありがとうを貰った。

嬉しかった。後悔もなかった。やってよかったと、やめなくてよかったと、思った。必死にやることは決して無意味ではないということを知った。

だが同時に、届かない現実も知った。私が抗ったところで、ここまでしかできなかったという無力感。それだけが拭えなかった。未だに。

それ以来、達成しようと藻掻くことすらも、諦めた。最初から運命と能力に見合うだけのことをしようと思った。だから大学は堕落した。只管に堕落した。何もしないをした。好きなことだけ、できる範囲のことだけ、できないことは直ぐに手を引いた。

この体たらくな有様に、兄が言った。

「お前何もしないで無意味に終わる気か?」

……終わる気はないけど、色々と疲れたから休ませてほしい。

「色々なことがあったっていうけど、よくそんなことがあってもやる気出さないな。」

……色々あったから、やる気を出したから、ちょっと疲れた。

「目標達成してないから本気になれないだけだろ。」

………

…………わかっている。

兄のいうことは全部図星なのだ。兄もまた、心配からそうした言い方をするだけなのだ。わかっている。わかっている。私が目標を達成すれば、全力で走って、ゴールにたどり着けばいいだけだ。もういちど。ただ、もういちど。

そのもういちどをするには、ちょっとまだ、駄目そうなんだ。

もう少し休んだらまた立ち上がる。少しずつまた、走るよ。だから、あと少し、ほんの少しだけ、休ませてくれ。

たったこれだけの時間で、これだけの人生で、疲れたなんて苦しいなんて死にたいなんて言わない。後悔するつもりもない。私を私が捨てるわけがない。

ちょっと疲れただけだから。

また少しずつ歩けそうだから。今度もまた、何かに全力が出せそうな気がするんだ。だから、今は何も言わずに見守ってくれ。

そういえば、実はまだコップは割っていない。また改めて綴る日記で書くつもりだが、割らないつもりではない。

今日ははしゃいで、靴擦れするほど歩いてしまったから、ちょっと疲れた自分を休ませただけ。

また明日。休めば歩けるだろう。

疲れたときは休めばいい。疲れたと自覚し、自ら休むことは偉いことなのだ。そこに負い目を感じる必要はない。本人がまた歩くつもりならそれで、大丈夫。後悔はしたくない、我の強さだけが取り柄なのだ。

少しずつ、何かを、必ずやることはできる。せめて私が私を労わってやらねば。

言い聞かせて、何となく、落ち着いた。