教員の育休復帰 イバラの道物語
私は公立の小学校教員をしながら3回の産育休取得と復帰を経験しています。その体験談を、主に1人目の時の経験を思い出しながら書きます。
現在は教員を辞めて、オルタナティブ教育、そして「公教育をよくしよう」という活動に関わっています。私が教員を辞めた理由は一つではないですが、「これ以上ここで頑張れないな」と感じた大きな要因が、子育てとの両立の難しさでした。
○育休は3年まで取れる=働きやすいのか?
3回の妊娠、出産。その度に育休は長めに取らせてもらいました。
でも、「先生の育休制度って、すごく待遇いいよね。」と人から言われるたびに、心の中でモヤモヤと、首をかしげる自分がいました。
たしかに期間としてはたっぷり取れます。なかなか3年取らせてくれる企業も少ないでしょう。
ところが、私の希望する保育園の2歳児枠には空きがないことが常態でしたので、1歳半で復帰は必須でした。そのタイミングを逃すと、とんでもなく不便な場所の保育園に入れられたり、兄弟別の保育園になったりしてしまいます。
実質、3年は取れないのです。
加えていうと、私は3年ずっと休むってそんなに求めていませんでした。
家の中で、子どもとべったり過ごすのも幸せな時間ではありますが、それが孤独で苦しいこともあります。
できる範囲で仕事を始めながら、少しずつペースをあげて復帰できたらいいのになぁ、、と思っていました。
○時短勤務が取れない!!
1人目の育休からの復帰が近づいた時、多少、(というか半分くらい)収入が減ってもいいから、ゆとりを持って復帰して、自分の子どもとの時間も大事にしたいと強く思いました。
会社勤務の旦那氏の当時の所属部署が、国内外の出張も多く、残業も多い職場だったこともあります。
まず、勇気を振り絞って、当時の校長に育児時短をとりたいと相談しにいきました。校長先生は「うーーーん」と悩んだ末に、教育委員会に電話。
「子どもとの時間がほしい、という理由だけでの短時間の取得はできない。親の介護もあるとか、お子さんが障害があるとかなら別です。」という回答でした。
今思うと「なんじゃそれ!?」回答ですが、当時の私はそれ以上戦おうという気力が持てなかったし、後の2回の育休復帰後も、二度とこの希望を言うことはありませんでした。
最近は「時短の希望が通った!」というママ教員友達の声も聞くようになり、少しは改善されてるのかもしれません。(時短の希望が通らなかった、という声もまだまだちらほら聞きますが)
後から判明しましたが、私の住んでいる自治体では、時短勤務ではフルタイムほどの点数がないので、希望する保育園に入園できないというトリックもありました。
ああ、遠いなぁ。夢の時短勤務。
○4月復帰がキツイ!!
そして、結局、1人目の育休復帰後は1年生担任をつげられました。。
教員は4月復帰が鉄板かと思います。
でも、この4月復帰が本当にきつい。
保育園の事前面談にいくと、「お母さん、4月からの慣らし保育はどのスケジュールでいきます?」と聞かれます。「な、ら、し、ほ、い、く?それなんですか?」
無知すぎる新米ママであった私、、。
保・「初日は9時に連れてきてもらって、11時ごろにお迎えに来れます?それが慣れたらお昼の後。それが慣れたらお昼寝の後。そらも慣れたら17時みたいに2週間くらいかけて保育園に慣らします。」
私・「いや、勤務があるし、普通に決めなきゃいけないこと山盛りやし、、数日後には入学式やし、、無理、無理です。」「初日の朝も無理、7時半〜頑張って17時くらい、、。」
保・「いや、お母さん、それはさすがに厳しいですよ。息子さんがもたないと思います。学校の先生の事情はわかるけど、、。お父さんとか、おばあちゃんとか協力してもらえませんか?」
と、突如として仕事最優先ママになってしまったようなやり取りを経て、途方に暮れた私。当時夫の仕事もそんなに休めず、ばぁばに頼み込んで、なんとか慣らし保育時期を過ごしました。
慣らし保育中に、担任として入学式に子ども達30人の前に出て、さらにその後ろにズラリと並ぶ保護者さんに挨拶。心と体が別々のところに彷徨ったような感じ。今思い出してもキュッとなります。
さらに、同じ育休期間を過ごしてきて、『同じく4月復帰、同志!』だと思っていた異業種のママ友たちは、当たり前のように仕事完全復帰を2、3週間ほどずらしてもらっていたんです。本当に羨ましかった、、。
ちなみにこの経験から、2人目の復帰の時は旦那氏も母にもガッツリ関わってもらう体制を組み、少し衝撃を和らげることができました。
ちなみに、あまり聞きませんが二学期のはじめに復帰する人もいるそうです。
4月って、職員室みんな余裕なくばったばたしていて、困っていても言い出しにくい。あえて時期をずらすことで、職員室は落ち着いているし、担任にあてられにくい。さらに慣らし保育も余裕もって出来るという、上級者向けの復帰の仕方です💁♀️なるほど!
○子は夜泣きする
さて、もう一つの落とし穴。
保育園に慣れない一歳児は、夜泣きをしたのです。。
疲れ果ててお迎えに行き、そこからイヤイヤ期のイヤイヤをなんとかかんとか受け止めたり流したりそらしたりしながらの、夕飯、お風呂、寝かしつけ。
夜、保育園に慣れずに頑張っている長男は夜泣きをしました。 (さらに2番目の娘の夜泣きは本当にすごかった、、、。一方、3番目はほとんどなかったですが。)
つまり、クタクタなのに、私はほとんど寝れないんです。
疲れのとれない体でら早朝に無理矢理起き上がって、持ち帰りの仕事をして、夕飯の下ごしらえをする。
その後出勤。
土日は倒れ込む。
そんな毎日でした。
○過労で倒れる
そんな毎日を過ごしつつ
旦那氏が海外に1週間出張で不在という山場があり、それを乗り切ったか、というころ、、
風邪が治らない。
まぁ、そんな生活してるから治らないのです。
とうとう、こじらせまくって
「あれ。咳がとまらない。息が、く、くるしい。どうしよう…!」
と。肺炎一歩手前までいきました。
お医者に毎日の生活を聞かれ、状況を伝えると
「完全な過労ですね。最低1週間仕事を休みなさい」
と伝えられました。
咳をしすぎてあばらにヒビがはいり、本当に苦しかった。。辛い思い出です。
○抱え込みすぎていたことに気づく
今これを書いていても、「おーーーい、パパはどこに。」
たぶん、いたと思うんだけど(笑)、大変すぎて記憶が飛んでます。恐らく、いろいろ足りなかったんだなぁと。たぶん家事分担は食器洗いと朝の送りくらいでした。夕飯の時も当然帰宅してなかったと思います。
(夫氏だけ楽をしてたとか、好きに遊んでたとかではなく、仕事で忙しかった、ということだったし、彼なりに頑張ってたんだろうとは想像しますが。)
私も私で、「みんなできてるんだから、私もできるはず✨」みたいな感覚があって、無理をしすぎました。
まぁ、一言で言うと「舐めてた」わけです。
大丈夫、早起きできる。
大丈夫、夜ご飯作れる。
大丈夫、丸つけできる。
大丈夫、仕事に行ける。
……
ここから、何回も似たようなことを繰り返し繰り返し、徐々に「人に甘える」ことを覚えます。
倒れてしまっては、家族にも職場にも、負担をかけまくる。
それなら、はじめからちょいと手を抜いて、人に頼って、自分もちゃんと甘やかして、そうやって過ごそうと。
「私はできない」「私はすぐ体調を崩す」と、胸を張っていえるようになりました。これも大成長です😂
そして、旦那氏は今や、当時とは別人のように育児に関わってくれる、頼れる存在になりました。
○復帰するなら手を打つべし
そんな経験を積んだ我が家は、
ルンバ導入から始まり
2人目の復帰のときには家事代行のお掃除、生協の夕飯キットを定期的に頼むことに。
3人目の復帰の前には、それに加えてガスの洗濯乾燥機を設置。これは神家電。
更に、母に夕飯を頼りまくりました。
突然の体調不良によるお迎え、そこから1週間体調が戻らずなんて、幼児期にはザラです。
自分が体調を崩すこともあります。
そんな時のために自治体のファミサポの利用も視野に入れました。が、母の存在のおかげで使わないで済みました。
そんなこんなで、今があり、かなり「家事楽モード」な家庭となっています。
○「職場の理解」の問題なのか
これまで学年の先生との関係は良好でした。みんな優しい方ばかりでした。
管理職も、基本的には子育てに理解を示してくれました。
学校の職員室って子育てに理解のある人が多いのではないかと感じています。ありがたかったです。
このしんどさは、「職場の理解」が足りるとか足りないとかの範疇は超えた、システムの問題だと思います。
教師の仕事の幅広さ、半端ない仕事量、一つ一つの責任の重さ。事情を伝えて負担軽減をと訴えたとて、「ごめんね、人がいないんだ。」と、担任を(なんなら主任まで)持たされてしまうほどの人材不足。
時短が簡単には取得できないのは、補充の人員が不足しているからでしょうか。前例が少ないからでしょうか。
子の看病のために休んでも、代わりにクラスに入ってくれる先生がいないので管理職が対応するような、カツカツな職員室。(ちなみに代わりに入る先生がいたとしても、その時間はその先生にとって本来貴重な空きコマで、授業準備をする時間なので、それを奪ってしまう構図になる)
ほとんど寝ずに子どもの看病して、次の日なんとか出勤した朝、自分の机に、山積みになった丸つけしていないドリルやプリント、保護者からの連絡帳のコピーがあるときの絶望感。
その時点で、今日の子どもたちはすでに登校してきていて、「業務の1人ジャグリング」のはじまり。
みんな余裕ないから、仕方ないことはわかっていました。
これでも、かなり配慮してもらって、朝の門当番や、重たい分掌などは外してもらっていました。
みんな厳しい働き方の中で、特別待遇で気遣ってもらった事には本当に感謝しています。
ただ、これを「ずっと」続けることを、自分のライフプランとして思い描けなかったのも事実でした。そして、昨年度で退職しました。
○復帰しやすい働き方が選べる職場に
うちの末っ子も4歳。ああ、なんて楽になったことか。
家族でもがきながら乗り越えてきた日々も今や愛しい思い出です。
でも、できることなら、もっともっと、復帰しやすい職場環境であってほしい。
あと少し、ゆとりを持ってクラスの子達と接してあと少し、ゆとりを持って我が子にも関わる
これは贅沢な願いなのでしょうか。
「仕事は好きだったけど、怖くて復帰できない」
「もう辞めるかも」
そんな声が聞こえてきます。
私は、そんなママ先生達に「大丈夫!」と言うことが今はできません。
学校にとって、(つまり日本の教育にとって、)担任の経験も育児の経験もあるママ先生って、今や、「すんごく貴重な人材」なんじゃないのか?とも思います。
「育休に入る先生が多いから、人手不足は仕方ないよね〜」、と現状を放っておいたら、ますます人材は流出するような気がします。
時短をもっと取りやすくするなり、時短をとったらサポート人員をしっかりつけるなり、そもそも校内全体のためにゆとりを持って動けるサポート人員を増やすなり、選択肢を複数用意して、育休を早めに切り上げ復帰したくなるような働き方ができる枠を用意してはどうなんでしょうか、、。
柔軟に考えて、やれる事がたくさん、たくさん、あるのではないのでしょうか。
子育てと仕事の両立のしやすい職場。そうなれば、先生になりたい若者達も増えるかも。
なによりも、先生も子どもも、みんなが笑顔で幸せな学校がいいよなぁと。ひとりの親として願います。
○最後に
この記事、勢いで書くにはかいたのですが、公開するのをちょっと迷いました。
これを読んだ育休中の先生が復帰を怖がってしまったり、これを読んだ学生さんが教員になるのを諦めたりしてしまっては、本望ではないからです。
(なので、辞めたけれど、今までの経験は全て無駄ではなく、しんどかったけど鍛えられ、本当に多くを学ばせてもらいました。教師って、やりがいもあり、魅力的な職業です。←ということは申し添えておきます。)
それでも、きっとこの経験の中には、これからの教員の働き方が改善するための何かヒントが隠れてるような気がしました。
一刻も早く、打開策が次々と矢継ぎ早に(笑)展開されることを願って、終わりにします。
長文読んでいただいてありがとうございました。
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