陶町煙突の風景

大量から適量の時代の舵取り。

焼き物業界で、土屋(つちや)さん、薬屋(くすりや)さんと呼ばれる、我々原料メーカー。もちろん土屋さんは、人の名前ではなく、粘土メーカーのこと。同様に釉薬メーカーも、薬剤屋さんに間違われることがありますが、くすり屋さんと呼ばれます。そんな、ちょっと不思議で、かなり特殊な、窯業の原料メーカー。それが私の家業です。

一昨日、粘土メーカーの先輩をまちづくりイベントにお呼びし、ゲストでお話いただきました。先代から会社を継承し、自社の工場の経営もしつつも、後継ぎがおらず廃業する他の粘土メーカーの事業も継承し、いまでは、4つの粘土メーカーの工場を引き受けているそう。「業界の下支えをする」という先輩の言葉、その言葉通りの勇ましい姿にいつも勇気をもらっています。

しかし、事業継承する人がいないというのはどういった状況なのか。原料メーカーの私たちが置かれている立場は大変厳しいものです。私たちの役割と、戦後の歴史を振り返り、少しだけご説明したいと思います。

原料メーカー、いつもは、焼き物づくりを下支えする役として、大きな窯をもつ、窯元さん(陶磁器メーカー、タイルメーカー)の黒子として動いています。窯元さんへ安定した原料を提供するため、鉱山から掘り出してきた天然の原料をコントロールするための調整役です。器やタイルに求められるのは、いつ作っても同じものができるという【再現性】なのですが、この調整が難しい。その専門性の高い部分を、窯元さんが外注しているような構造になっています。

原料天然の素材、窯の火、自然の不安定なものから、同じものを作れる、という技術をここまで高めてこれたことが素晴らしいと思っています。この産地にいると、先人たちの叡智に出会える、試行錯誤してきた歴史、これが伝統、これが文化なのだと誇らしく感じます。そんな知恵がつまった産地で、原料メーカーは一生懸命、原料を調整をしてきました。

しかし、高度経済成長時から、ものをどんどんつくっていた、その構造に変化が起きました。それまでは「同じものを早く安くつくる」ということが正解で、効率重視の分業の中で自分の役割を果たしておけばよかったのですが、そこから、ものが売れない時代がやってきたのです。もの売れるという全体が崩れたのに、産業構造はできあがっている状態が続きます。

最終のお客様までの道のりは、遠い。

平成3年あたりから業界の売上が右肩下がり。
(参照)公益財団法人 岐阜県産業経済振興センター
https://www.gpc-gifu.or.jp/chousa/jiba/ceramics.pdf

そのなかで、商社さんも、問屋さんも、窯元さんも試行錯誤。気づかぬ間に、窯元さんの黒子の我々も変化しなくては生き残れない時代となっていました。待っていたら売れない。

多くの会社が、廃業、倒産。業界の中ではそんな話が飛び交います。私が業界に飛び込んだ20歳の時は、先の見えない、真っ暗な時期です。何かしないといけないのに何もできない。もどかしさと不安でいっぱいでした。

そこから、構造に変化が生まれます。最終の消費者にダイレクトに影響を受ける、器の業界の方からその流れは先にやってきました。大量にものを売るための機能が少しずつ変化し、問屋を飛び越え、窯元が直接自社の商品をブランディング・販売する流れが生まれ始めました。

そしてそこから「メーカーもデザイン力を!販路を作って、作るだけじゃなく、自らが売っていくスタイルに変わらなくてはならない!」と叫ばれた時期もありました。時期といいましたが、いまは一旦落ち着いた気がします。もちろん、今でもその戦略をとって動けるメーカーさんは柱を立てた方が良いと思ってます。が、やはり、しっかり売ってくれる方がいるのであれば、製造に注力したいというのが、ものをつくる方々の考えだと思います。なぜなら「売る」「つくる」は全く違うので、脳みそを二分しなければならず、大変だからです。販売することも、ものをつくることも、そんなに簡単ではない・一筋縄ではいかないと、私も製造と販売、両方やっていて思います。

そんな中で、メーカーでありながら、販売会社を立てて、海外にも売り先を見つけている窯元の先輩がいらっしゃいます。一昨日のイベントにもうひとりのゲストとして登壇いただきましたが、自社で企画・販売するスタイルと、これまでの商社を通した流通、両方のバランスを取りつつ経営を行っています。いまでは、メーカーが直販することは業界で受け入れられていますが、当時は、業界のタブーとされていました。それをはじめる勇気、そこからその売上をあげていく努力、相当なものがあっただろうと思います。

器のほうが先に変化しなくてはならない状況になったといいましたが、タイルは器よりもっと強固に構造ができあがっていて、なかなか変化できないのがこれまでです。昭和51年に出版されたタイル関連の書籍の中で、これからは建物も建たなくなり、タイルが売れない時代がくる。量産の構造から変わらねばならない。と書かれていましたが、まさか40年経っても構造が変わっていないとは思わなかったと思います。それだけ、仕組みができあがっている業界なのだと思います。

しかし、私たちが変化できないままでは、業界のなかで、その機能がなくなってしまうのです。土屋の先輩が、他の粘土メーカーさんの事業を継承して、技術やノウハウを守っているように、原料メーカーがなくなれば仕組みの維持ができなくなる恐れがあります。実際、人知れず消えてしまいそうな原料供給メーカーもあるそうです。「この技術は日本でもうここしかないという状況になっている、でももう後継がいない」。土屋の先輩は、もし、それの見える化できたら、もしかしたら打つ手があるかもしれないと言っています。なくなってからでは遅い。なんとかせねばと思います。

もちろん、第一は、自社がなくならないこと。技術を守り存続させることが大きな役割です。原料を供給できなくなれば、業界の土台が揺らいでしまいます。産業構造の中で、これまでのスタイルで売っているとジリ貧になっていくポジションの私たちですが、しかし、そのままのスタイルでは業界の中で消えていく位置にある。変わるを求められているのは、バランスを取りながら変わること。これまでのものを守りつつ、新しいことも始める勇気なのかもしれません。

今週は東京で、建築に関わる方々向けのイベントにゲストに呼んでいただき、そんな話をしてきました。

15年前この業界に飛び込んで感じた、「このままではこの業界はなくならいだろうか?」という不安と「技術があるのにずっと黒子のままでいいのだろうか?」という違和感。そこにいま必死に向き合い解決しようとしています。まるで暗闇のなかで光のようなものを探しているように思います。釉薬によるタイルの創造・再現性という高い技術で良いものをつくり、お客様から愛されるタイルブランドを作ることが、いま私が見つけたひとつの答えです。生まれたばかりのTILEmadeブランドを育てていくのが私のいまのミッションです。

イベントの中で対談した、BAMBOOMEDIA代表であり、商店建築の元編集長である笈川さんは、私がこれまで感じた不安や違和感、業界の話しをすると、「へ〜!知らなかった。」「それ面白いね!」という反応。

それが私にとってはとても意外で、同時に思ったのが、そうか、私たちが声をあげなければ、誰にも気づいてもらえないんだ!ということでした。建築・タイルに関わる人につくる現場のことを伝える。釉薬の色合わせの職人の嘆きや原料はあるのに枯渇するという矛盾、現場のことも、知ってもらわねばならないと改めて思いました。知ってもらえれば改善することもあるかもしれません。すべては丁寧なコミュニケーションから始まるのかもと思います。

業界が生き残るため、光をみつける作業。それは、釉薬という仕事をなくさないため、タイルブランドをつくるという、ひとつの取り組みだけではなく、こうして小さな提言をしてみることもひとつの方法なのだなと思いました◎

書いてみると、数字が曖昧だったり、釉薬メーカーの市場規模、流通の変化など、知りたい情報やまだまだリサーチしなければならないことが盛りだくさん。業界の人として、発信するからにはこれからますます勉強していかねばです。やることが多いけど、がんばります(涙)


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1984年岐阜県瑞浪市生まれ。合同会社プロトビ代表。「ツマラナイことをオモシロく」をモットーに、東京と名古屋にて社会貢献活動をオーガナイズ。大学中退後、世界一周や窯業(釉薬)勤務の経験を経て、ファシリテーターとしてイノベーションの研究と実践する場づくりに取り組む。
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