多摩川水景:程久保川(多摩川旬報221111号)
多摩川水系のあらゆる景色を集める「多摩川水景」。
今回は、日野市内を流れる程久保川(ほどくぼがわ)を歩いてきました。
浅川との合流地点から源流までは全5キロに満たない小さな川ですが、ある場所を境に川の表情が一変します。
浅川と多摩川の合流点に流れるもうひとつの川
八王子周辺に土地勘のある方なら、浅川という川をご存知かと思います。
多摩川流域のほかの街と、八王子が少し違った雰囲気を持っているのは、それが浅川文化圏だからだと勝手に思っておりますが、それはさておき。
浅川はやがて日野市の高幡不動駅と百草園駅の間ぐらいのところで多摩川に注ぎこみますが、実はそこにもう一本、しれっと合流する川があります。それが、程久保川です。
今回はこの合流地点から、源流を見つけに行きます。
程久保川の最下流付近は、かつての流路の名残みたいなものが残されていて、結構気になります。
意外と高低差があるらしい中流域
程久保川沿いを歩きながら川を見ていると、川幅はあまり変わらず、小さな堰が結構多いことに気づきます。
堰があるというのは、流速をある程度均一に保つために設けられているということ。つまり堰が多いのなら、それは急な川であることを意味します。
下流部を歩いている限り、あまりそんな印象は受けませんがどうでしょうか。
日野といえば用水路です。
新井用水とかそっちの方がメインで、程久保川周辺はあんまり注目されないんですが、細かい水路がたくさん通っていて、迷路のように交錯しています。
小さな川なのに、結構細かく枝分かれしていきます。そんな様子を見ているうちに、京王線の高幡不動車庫付近に到着。ここから川沿いの道を歩くことはできません。
高幡不動駅周辺は、夏になると結構ハグロトンボを見かけます。東京都ではかなり数を減らしているらしいですが、程久保川周辺はかなりの数が見られます。
程久保川は京王線高幡不動駅の車庫の下をくぐるので、ここで迂回します。迂回して合流して、また川沿いをしばらく歩いていると、なぜかまた線路の下をくぐるはめになります。なんで?と思ったら、こちらは京王動物園線の方でした。
川崎街道の下をくぐってさらに先へ行くと、今度は多摩都市モノレールの下をくぐることになります。くぐってばかり。
以降、多摩モノレールとは何度も交差しながら上流に向かうことになります。
ちなみに程久保駅周辺の右岸側は、親水地帯になっていて、川沿いギリギリまで降りることができます。
程久保川はとにかく、けっこうお構いなく上から鉄道やらアスファルトやらをかぶせられたりしている印象。ほとんど用水路のような扱いです。背の低い橋などが近距離に頻繁にかかっています。
こうした直線的な構造物があると、借景のような景色が楽しめたりします。
だんだんとこの辺りから勾配がきつくなっていきます。多摩都市モノレール程久保駅から多摩動物公園駅に着くころには、流路も結構せまくなっています。
そして多摩動物公園辺りからは、だんだんと雰囲気が変わっていきます。
このあと再び道路の下に程久保川がもぐりこむのですが、また顔を出す頃には、上流端の標が建っています。
上流端と言われているのだから、ほとんど源流まではすぐだろうと思っていたら、ここからさらに結構行くことになりました。
あわただしく隠れたり表れたりする上流部
しかし何があったのか、上流端標からさらに上流部を目指すと、国道やら都道やらのアスファルトが広く敷かれ、程久保川が再び顔を見せる頃には、ずいぶんと水量を減らし、側溝の用水路のような形になっていました。
ほとんど丘陵からの湧水の通り道です。
写真で表現するのが難しいのですが、いかに細く小さな川かをお伝えできればと思います。
川がどんどん細くなっていくのと反比例するように、坂道が増えてきて、だんだんと丘の存在感が増していきます。
歩いていると、程久保川が流れている部分が、谷にあたるのだということがよくわかります。
程久保六丁目の先が、山頂付近になります。
ただ勾配から考えるに、これより向こうに流れた水は、別の河川に流れ込むことになるのでしょう。
もちろんこれはいくつもある源流のひとつでしょうが、程久保川はこのような湧き水がたくさん寄り集まった流れと言えます。
編集後記
程久保川は基本的に川沿いを歩きやすい川なのですが、川崎街道やモノレール通りの下を、少し長めにもぐったりします。
特に交差点付近でそういうことをやったりするので、見失いそうになることもしばしば。一度姿を消し、再び現れる頃には全く違う顔付きをしているので、驚いてしまいます。
宅地や街などの開発過程で、程久保川くらいの規模の川は、結構大胆に隠されてしまっているのでしょう。まちなみを見ても、多摩動物公園駅辺りから、雰囲気がきれいに変わっていきます。上流端の標を境に、上流部と下流部でくっきりと景色が変わります。
裏返せば、人々の暮らしに合わせて、河川のどこを見せ、どこを隠すのかという取捨選択こそが、都市開発の歴史だと言えるかもしれません。(編集:安藤)
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