4月22日 妻と神戸へ行った

 前から一日妻と遊ぶと決めていた日だった。デートというやつだ。前日に妻が髪を切ったパーマをかけた。給料日後だ、ということもあるだろうが、このタイミングでは僕に「デートの為に」と誤解させるのには十分であり、いや、誤解ではないかもしれないが、ともかく並々ならぬデートへの気合を僕なりに感じ「良いデートにしなければ」という気持ちが沸き上がる。

 午前中に家を出て阪急電車で神戸方面へ。電車の車中、僕の服に飼い猫の毛がたくさん付着していたようで、妻が取ってくれる。しているうちに今度は妻が僕のマスクが左右対称ではない、と何度もいじくってくる。僕はなんだか鼻がムズムズしてマスクを外して鼻を掻いた。すると妻が「鼻ほじらないよ」と言ってくる。僕は鼻をほじったわけではないので「鼻を掻いているだけだよ、そんなこと言ったら僕たちを観ていない人があなたの声を聴いて、僕が鼻をほじっていると思うじゃないか」と注意をする。すると妻はひとしきり笑った後「そうやって言って鼻をほじっていないことにするのね」と言うではないか。これはたまらない、と思ったので「いや、そうやって言うと本当はほじっているみたいではないか、本当にほじっていないのだ」とやり返す等していると乗り換えである。普通電車に乗り換えてしばし電車に揺られる。

 着いたのは王子公園駅。王子動物園の最寄り駅であるが、我々の目的地は動物園ではない。王子動物園とは逆側の出口から出て向かうのは兵庫県立美術館である。この日は恐竜絵画に関する特別展が開催されており、妻が興味を持ったのだった。僕も妻経由でこの特別展を知ったのだが、恐竜、嫌いではない。保育園時代は名うての恐竜博士として鳴らした男だ。お魚博士との兼任でもあったが。
小学校に上がるにつれてだんだんとお魚博士専任になり、中学年くらいで歴史博士を新しく受け持って、だんだんと歴史博士専任になり、長ずるにつれて何の博士でもなくなり、今では嘘を生業とする講談師である。
しかしそこは昔取った杵柄というか、なつかしい故郷というか、おふくろの味と言うか、焼け木杭には火というか、元カノというか、恐竜には良い感情を持っている。
 二人の興味が少しでも合致する、というのはあまりないことなので、ぜひに、とこの日の出掛けとなったのだった。
王子公園駅から20分ほど歩く。途中、前日に妻が見つけていたクレープ店に立ち寄りクレープを購入する。妻は何やらダブルクリームなるこってりしたものを頼んでいた。僕はバターシュガークレープを。
二人でクレープを食べながら神戸の街を歩く。ザ・デートである。道中あまり人はおらず、気温もちょうどよく、非常に良い気分で歩く。
妻はダブルクリームなるクレープを食べ「気持ち悪い、もう塩からいものしか食べられない」と幡随院大の回の古畑任三郎のようなことを言っていた。

 少しづつ美術館に近づいていく。県立美術館の前に着く。あまりひとけは無い。美術館に入ってまずミュージアムショップを見る。あまり「こりゃ欲しいぜ」ってものはない。素通り。チケットを買って恐竜絵画の展示へ向かう。
 
この展示は、恐竜絵画の歴史を追いかけたものだ。1800年代に恐竜の化石が発見され、人間以前にはこういう生き物がいたのだ、ということがわかった。
その姿かたちは一体どんなものであったのか、1800年代の人が想像して描いた恐竜の図から展示ははじまる。そこから骨格がまるまる発掘されたり、研究が進んだりした後の恐竜の描かれ方はどう変化していったかが時代順に展示してある。

 初期の恐竜絵画はなんだかおまぬけであった。妙に首がひょろひょろしている首の長い恐竜や、完全にワニな恐竜、粗暴なサメといった雰囲気の恐竜。妙に現代の恐竜のイメージと違って、所謂「ゆる」な魅力がある。また、恐竜化石発見当時に、第一線の画家がわざわざ恐竜をモチーフには選ばなかったのだろう。ちょっと構図も変なのである。今にも食われそうな魚がじっとしていたり、アンモナイトがあまりに適当であったり、遠近法がうまくいっていなかったり、戦いの場面を描いているはずなのにダンスを踊っているようにしか見えなかったり。それもまた面白い。
そこから研究の進みと、絵画の技術の一般化、なのか、どんどんと今の我々が知っている恐竜に絵画の中の恐竜もその姿を変えていく。
 それでもやはり恐竜そのものを直接見たものはいないわけで、どうしても想像力で補う部分が出てくる。そこに個性が出て面白い時代へとなっていく。まあ講談でも。事実と事実を想像と虚構で埋めていく。そしてそこにこそ作者の個性が出るわけだから、同じと言えば同じだ、と思ったり。結句、1時間半くらいだろうか、見て回ったのだった。妻はゆるな感じの初期恐竜絵画が気に入ったようでポストカードを購入。僕はクリアファイルを購入した。

 妻はあまりの子供の多さに少し疲れ気味で「美術館にあんなに子供がいるとは」と少し憔悴していた。子供と言うのは変な声を出したり妙な動きをしたりするから、気になる人は気になるだろうな、と思う。無秩序だからな。

 帰り道、ご飯屋さんの看板に「家庭の延長」なる惹句を見つけ、ひとしきり不幸な家庭とその延長の話をする。また。その看板には求人らしき文言も載っており「休日、休憩相談可」と書いてあった。
「当然のものとして休日や休憩が存在しているわけではないんだね」「相談可だから、相談したところで休日や休憩が与えられるかどうか」「家庭の延長だからね。家庭ってそういうところがある。休日も休憩もないようなところがある」などと、そんな気無いだろう看板に散々悪態をついて駅への道を歩いていく。
 そのまま王子公園駅から電車に乗って十三へと帰り、昼からやっている焼き鳥屋で一杯飲む。鳥刺しを中心としたヘルシーなの味方であった。大いに満足する。不真面目な感じの店員さんが店長さんに注意されてもへらへらしており「お客さんにご迷惑かかるとあかんやろ、真面目に聞かなあかんで」と注意されていた。あんまり客前で注意する上司って好きじゃないのだけれど。まあ、お客さんの手前、ちょっと叱らないとまずいかなって感じのヘラヘラさで、なんだか仕方ないかな、と思ったり。

 帰宅すると猫がまとわりつく。服が毛だらけになる。出かけようか、とも思ったがなんだか足が動かない。手も動かない。仕方が無いので為すがままに部屋に居続けたのであった。
総じていい日だったと思う。たまにこういう日があってほしいものだ。書いてないけど、他にも結構悪態をついた気がする。悪態をお互い高めあって楽しめるようなデートは心地良いものだ。妻もそう思っていてくれるといいのだけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?