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情熱

一生懸命な人をみるのが、この上なく好きだ。

昨日はお友達家族に誘われて、家族で社会人バスケットの試合を観戦した。

「大阪~エベッサ~チャチャッチャチャッチャ~♪」

にわかファンもいいところ初めての観戦にかけ声も知らん。わからん。

知らんけど、そこは生まれも育ちも生粋の大阪人。
のりの良さと、その場になじむ柔軟性だけは家族みなに備わっていたようだ。

3分もしたら、平気で家族総出で大阪エベッサしちゃってた。

ハーフタイムや休憩毎にコートで華やかなダンスを披露してくれるダンサー?チアガール?正式な呼び名がわからんけど、
わたしがかってにエベッサガールズと命名。

エベッサガールズたちが満面の笑みでダンスを披露してくれる姿に手をふったりなんかしっちゃたりして、会場の空気に馴染みすぎたか。

大阪エベッサのユニフォームが赤かったから、なんとなくスラムダンクを連想させて声援にも熱が入る単純さも兼ね備えている。

ほら遠くでみたらスラムダンク臭出てるでしょ?

Osaka evessa

試合は…非常に残念だったのだけど大差でボロ負け…。

もう、1クォーター目から点差がひらいちゃっていた。

一緒に行っていた友達家族の小一の子どもが早々と
「もう、あかんわ。負けや」と隣の席でぼやく。

スラムダンクど真ん中世代のわたしはほら、こんな時は言うでしょ!
あのセリフを!

「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」

安西先生…。


さもあり顔で子どもに言う。

子どもはそのセリフの尊さを知らん。
スラムダンクも知らん。
ちいかわしか知らん。

「どうせ、負けるわ」ともう1度言った
あとは早くもその興味はSwitchへと移動してしまった。

負けても、勝ってもいいんよ!

頑張っている選手の姿はかっこいいのだ。

私的あるある
見たらなんでもすぐにやりたくなる性が発動。

試合終了後は人の波に流されるままに、誘われるままに、ユラユラ押し流されながら廊下を歩く。

歩きながら、
「シュートしたい!!」

「ドルブルで走りたい!!」

「何やったらダンクとかしてみたい」

と、わたしがうるさいもんだから家族は
「出た!なんでもすぐやな~。」

「ゆうほどシュートもできひんから。今、体育でちょうどバスケやけどマジでゴール遠いから!」

「自分の腕力の無さに、やったらビビるから」
と中学生の娘にバッサリ。

クソっ。

わーとっるわ!
出来ひんことぐらい。

でもやりたいだー!!

そんなこんなで、ガヤガヤ言いながら駐車場まで夜の難波を歩く。

普段外に出ない時間。しかも難波。
非日常が無駄に楽しい。
初めてのバスケ観戦の熱も相まって、気分が高揚していた。

21時を過ぎても全く眠りの気配を感じさせない難波の人の多さに、
「10年前この町でOLしていたなんて…信じられへんは…」とつぶやいたら

主人から、
「いや~20年前やから!」の秒のツッコミをうける。

「おお…ほんまや20年前か…はやっ!」

10年単位もあいまいになるほど長く生きてきたんやな。
急に人生の生きてきた道すがらを思うとなんとなく心がしんみり。

わたし一生懸命な人を見るのが好きなのは、一生懸命に生きたいからじゃないのか?
胸の内でそんなことを考えていた。

自分なりにそれなにり、ささやかに、生きてはいる。
だけど、だけど、だけど、
燃えたぎるような熱くなるものをもって生きてるかと問われたら

燃えてない。
平熱が平常運転。

淡々と一日を繰り返しながら営まれる日々。
それは幸せなことである。

普通に生きる難しさは十分痛目にあってきたから分かっていますよ。
知ってますとも。

だけど、何かに情熱を注いでるいる人が眩しい。

その熱の中に入ってみたいのだ。

くすぶってる情熱を音楽にのせて
燃えたぎる思へのあこがれだけは内包しつつ、今日も平熱でとりあえず生きた。

最近、1番聞いてる曲。

今年のM-1で使われていた曲。
映像と音楽があいすぎて何度でも泣ける。

仕事前に自転車で爆走しながらこれを聞くと信じられないぐらい生きる活力が湧く。

私のじょーーねつ!
まってろよ!

みたいな強気になれる。

歌詞を覚えて、お風呂で熱唱してやる!
それが今、1番近くにある、1番小さな私の情熱。

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