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グルメ心を見つけた漁師町の回想記

回想記

時は10年前。

子どものころからたびたび訪れていた思い出深い地がある。それは福井県の小浜町。小さなちいさな漁師町なのだが、私にとっては特別な思い出が残っている場所。「好き」なものの原石に触れ、磨いてくれた場所だ。ここで食に対するときめき心が磨かれたと思う。幼いときに体験できて心からラッキーだった。

かなり前の記憶なので、正しい記憶なのか記憶の幻想なのか曖昧ながらも、霧を晴らすように記憶を呼び起こしてみたのだ。

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漁師町・小浜町

車で大阪から早3時間で福井県に着く。
出発したとき窓越しには、都会のビルや広大な道路が並ぶ風景がそびえ立っていたのだけど、揺られながらひと眠りをして目を覚ますと、風景が新緑の山々や畑、湖のような自然の世界が広がっていた。そして気付けばあっという間で、山々を渡り歩き終えて、福井県の境界線も越えていた。高速道路を降りると、一面に広がる畑の中に軽トラックがチャリンコと同じくらいの速度で走っていた。のどかな田舎に来たなあ。寝て覚めたら異世界に来ていて、ぷちタイムスリップした感覚だ。もうあと少しで、太陽の光を浴びてきらりと光る日本海がすぐそこに見えてくるぞ!と気分が高鳴る。

しばらく下道を走ったら遂に見えてきた、いつもの「小浜町へようこそ」という看板がお出迎え。看板の先には、一面に海が広がっていて、その向かい側には漁師町が並んでる。車の窓を全開にしながら走ると、海辺の風が身体に当たって気持ちがいい。潮風の匂いを浴びると小浜町の記憶が呼び覚まされて、またこの漁師町にやって来たんだ、と実感がわいてくる。これからの2日間、魚釣りとご馳走、というものすごく楽しみな時間が待ってるんだと心が高鳴ってきた。


小浜は昔懐かしい町だ。広大で穏やかな海辺を少し見下ろすように、小坂に古民家が並んでいる。「となりのトトロ」に出てくるような古民家や民宿だ。小坂を上って、いつも宿泊している漁師のおっちゃんの民宿へと向かう。戸を開くとおっちゃんのいらっしゃーいという声。お昼に到着するとまず2階へと向かう。旅館のような小さな部屋で荷物を降ろして身支度をする。部屋から海を眺めながら。そしたらこの日は外に出て、民宿の周辺を歩いて海風を浴びる。そして地平線を眺める。なんだかこの土地に身体が馴染んでいくようだ。

穏やかな海がざぶーんと波打つ音を聴いて、淡く海の上空に広がる空を眺めていると、なんで海と空は青く、眼福な光景なんだろうって不思議に思う。ピアノを聴いているときのような音波に耳も癒される。

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芽生えたグルメ心

間違いなくここ小浜で舌が肥えた。釣りたての魚を何度も食べた少女の私は、魚の味を見分ける術を身につけた。

釣りに出る前夜。19時からは客室で恒例の夕食。夕食はみんなでちゃぶ台を囲む。民宿らしい贅沢な魚のフルコースを食べれるのだ。でとまだ17時、夕食まであと少し。夕食が待ち遠しいと胸焦がれる。

そういえばこの宿の廊下の壁には、古びて年季の入った魚図鑑のポスターが貼ってあった。「鯛」や「鰯」のように馴染み深い魚から、カワハギやカサゴのように普段は目にしない魚まで紹介されていた。魚を表す漢字にはさかなへんが付いていていることはここで覚えたと思う。
海の下にはこんなにも色んな魚がいるのだと思うと、頭が追いつかない。

待ち遠しい夕食のお目当ては刺身の盛り合わせだ。なんとその日の朝に獲れて鮮度抜群なフルコースなのだ。今日はどんな魚の刺身が食べられるのだろうか。いつも、活きの良いプリッとした刺身がドドんっ、と大皿に盛り付けられたのを贅沢にも頬張るのだけども、きらりと透き通ってかみごたえある刺身を醤油に絡めて食べるのを想像してみる、これだけでもうよだれが出てきそう。口元と頭の中がおいしい。

19時になり夕食ができましたよ、と待ち遠しかったアナウンスを聞きウキウキしながら夕食へと向かう。今日もうまいごはんが食べれると思うと胸が高まる。料理が並べられている部屋の戸をこれから開けるんだ。きらきら光る宝石箱を開けるような気分だ。

がらっと戸を開けると、ちゃぶ台にはきらりと光る贅沢なお刺身の盛り合わせが立派に並んでいた。うわあーーー!おいしそう!でっかい鯛ーーッ!鯛、あじ、かわはぎ、かさご、いか、まぐろ。まるで七福神の宝船のように刺身が乗っている。他にもあったかもしれないが、どれもきらきらしてた記憶しかない。大好物の魚たちを釣り上げて盛り合わせてくれた船長への感謝の気持ちがあふれる。

まずは大好物な鯛をお箸ですくう。白くて背筋が鮮やかなピンク色の鯛を醤油にからめる。ぷりぷりっと食感が残っていて噛むごとに淡い甘みが沁み渡ってくる。舌の上でふわっと溶けてなくなってしまうようなお刺身。ほくほくの白飯片手に食べれるのも極上。

カンパーイ!って楽しそうにビールを飲む大人に対してあこがれる隙もないくらい、目の前の魚料理たちに夢中だ。炊き立てな白米もおかわり自由。うまい魚とお米を心ゆくまで好きなだけ食べていい、という贅沢さ。最後は大根のツマまできれいに平げる。今でも最後まで平らげる持ち味は健在だ。

食はみんなを幸せにしてくれる魔法だ。鱈腹食べてお腹と幸せいっぱいで、幸せピークな状態でもう眠りに落ちていい夢を見て一日を終えたっていいんじゃないか。満たされた気分で早朝に向けてお休みなさい。

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釣る体験

早朝6時半。

釣り竿と餌とお茶とクーラーボックスを積んだ船にエンジンがかかる。小浜の小さな漁港から海原へと進みだした船。早朝の澄んだ空気を吸いながら浴びる潮風は気持ちがいい。沖に出るにつれてブオーーーンと船のエンジン音が爆音で鳴り、船体はざっばーんざっばーんと揺れる波に体当たりしながら突き進む。これからどんな大物の魚を釣れるのかウキウキしながら、大海原へと冒険に出る。

船長さんはいかりを下ろすスポットを見極める。次第に船の速度がゆっくりになり、エンジン音がしぼむように止まってくる。まずはここに停めるみたいだ。船長は海面を見るだけで、この海底には魚がたくさんいると分かるらしい。どうして海の下まで見通すことができるんだ、さすがは船長さん、魚の大群を嗅ぎ分ける鋭い嗅覚が光ってる。
(と信じながらも、魚探レーダーらしきものを船上で見た気はする。)

魚を釣るには小さなエビを使うことをこのときに学んだ。針が隠れるようにエビをつけて魚が食らいついてくれますようにと願いながら海に落とす。海の中ではどんな世界が広がっているのだろう、と想像するのが楽しい。海底はチョウチンアンコウのように光を当てないと視界が見えないほど真っ暗なのだろうか。砂漠のように砂浜が広がっている静かな町なのか、それともニモの世界のようにサンゴ礁があって大小魚たちがいる賑やかな世界なのだろうか?

釣り竿の先っぽを見つめながら魚がツンと餌に食らいつくのを待っていた。

ピクッと竿が動いた。何かが食いついてる。私の竿に掛かってくれてありがとう。大きくしなる竿をめいいっぱいの力で引き上げると、なんと大漁。30cmくらいの鯛とあじとカワハギが掛かってくれてた。

はるちゃんのところには大物の魚が寄ってくるねと褒められ、わたしには魚を引き寄せる力があるんじゃないかと本気で思っていた。

漁港に戻ったら、釣れた魚を捌いて昼食には獲って捌きたての刺身からは力強い生命力を感じて、いつも以上にみんなにありがとう、と思いながら食事をする、なんとも神聖な気持ちになる。そしておいしいものへの偏愛と執着心が育まれていたのだ。

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「おいしい」食

私は食いしん坊に育った。食材はとれたてが一番とか、鮮度が大事なんて子どものころから思っていてとんだグルメ少女だった。今でもとれたての食材がおいしいと思っているし、とれたてでその場所にしかない素材を味わいたいがゆえにわざわざ外国にまで飛んで行くようになった。食べ物好きは今でも変わらず顕在だ。むしろよりオタクになった気がする。でも今は少し大人へと成長していて、好き嫌いをしなくなったと思う。新鮮な食材を信仰していた時期もあったがどんな食でも受け入れられるほどにはなった。でも根底には小浜育まれたように、やはり素材を一番おいしくいただきたいと思う心があるのだ。おかげで食材のおいしさが引き立てられるような素材にこだわるようになった。そして海の幸に感謝をしている。


福井の海よ、わたしのグルメ心を育んでくれてありがとう。

おわり

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