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デザインマネジメントから学んだこと


大学の経営学部のゼミではデザインマネジメントについて学びました。新しく生まれた学問ですがこれまで持たなかった考えを持つようになり、学びが多かった。

経営学部に入ってデザインドリブンイノベーションという、個人の内なる起点からビジネスを作ることに出会った。例えばスティーブ・ジョブズはマーケティングよりも作りたいものを突き詰めて作った結果新しいものを生み出した。そのように、世間が求めているから作るのじゃなくて、個人が熱意を持って追求して作りたいものを作ることが役に立つものができる、というプロセスに関心を持った。求められるものを作るんじゃなくて、おもしろいと思うものを作る。

ゼミで学んだことを中心に、学んだこととか自分の中で変化した考えをまとめました。新たに学んだ武器は使いこなせてはいないものの、日常で意識するようになってるのでシェアします。

1デザインとは意味を作ること

「意味がある」から役に立つ。各々が主張をして自分を発信し表現する十人十色な今の時代、「正しさ」ではものが測れない。世界は、存在するものに対していかに認識するか。意味が世界を作っていると学んだ。
「何に意味を見出すか、何を美しいとするか」の視点を持つことが大事。

意味があることと役に立つことは違う。機能を追求して問題解決をすることから、より意味が求められている。確かに機能を求めてより良いものが生まれることは発展するために必要。例えば、食べ物だったら、1日分の栄養素が詰まったサプリメント。食べる手間を省いてかつ健康を保つ機能は優れている。でもそうすると、食べることで本来得るもの(五感の体験、外界とのつながり、コミュニケーションなど)が得られなくなるとか。効率性が求められる社会だからこそ、そうじゃない部分にも価値が潜んでる。

機能を追い求めることはAIや技術が得意なことで、人は機能よりも意味を作る役割をするべき。人はよりクリエイティブなことができる。数値化とか、高機能、といったシステマティックな方向に向かうだけでなく、不確実な世の中だから、たとえ曖昧だとしても意味があることをしたい。

2まずは疑ってみる

あらゆる物事をまずは「一度疑ってみる」ようになった。(先生はこれをエポケー(判断中止)だと言ってた)以前は自分の主張が正論だと思っていたけど、自分の主張は本当にいいことなのか?と考えるようになったし、反対意見を持つ人やもの、現象に対しても、「これは何を意味してるのだろう?」と意識して考える癖がついた。最初は異なる意見を聴くことは疲れるけど、自分の主張は一旦置いてみることも大事。自分の主張は自分の世界観から作られるし、相手の主張は自分と異なる体験や思考から作られている。その人の視点で世界は認識されてる。ユクスキュルの「環世界」に通ずるものだと思う。

すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、その主体として行動しているという考え。(wikipediaより)

私自身、最初は食べれるのに棄てることへ違和感を持っていて、そこからサステナブルに生産と消費をすることが大事だと思った。ヨーロッパのように日本でもサステナブルな取り組みがどうしたら進むんだろう?当初は、オーガニック=地球と人に優しい、と思っていた。(ドイツの市場やスーパーでは当たり前のようにオーガニックの食材が並んでるのを見て、日本でもこうあって欲しいと思った)。反対に、農薬=身体に悪い・土壌や動物にも悪く、同様に、コンビニ=工業的生産をしてる・添加物多量の食べ物を売っている場所、と捉えていた。だから、身体に悪そうな食事を選んだり、時短的な食事をする人の考えに共感できなかった。でもその人がそう思うには何か背景がある、と意識的に考える姿勢を持つようになった。

そしたら、(以前はいやだった)コンビニでも添加物は使用してないし、そもそもスーパーよりも店舗数多くて食材や日用品という、生きるために最低限必要なものが揃っている便利な場所やんと気づいた。コンビニがあれば料理ができなくてもとりあえず生きていけるし、食品の保存期間も長い、と思うと、人類にとっての最低限のライフラインになるじゃないか(批判しててすみません)って捉えるようになった。とにかく、自分の思考はむちゃくちゃ狭く常に囚われているから、自分の世界にとらわれず視力を拡げ続けること。でも同時に深めていかないといけない、って思ってる。

3絶対的なものはない

絶対的にいいものがあると思っていた。でも世界はその人の中にあるから、絶対的なものはない。

例えば味覚には、「有機野菜はおいしい」というように”絶対的なおいしさ”があると以前私は思ってた。丁寧に育てた食べ物は絶対的においしく、一方で大量生産で機械的に作られた食べ物はおいしくないと思っていた。でも、味だけじゃなくて、誰と食べるか、どんな状況と空間で食べるかによっておいしさは変化する。誰が作ったか分からず添加物がたっぷり入っているものでも、何とも比べられないくらいにおいしいって思うときがある。

以前にフードスコーレで書いたことで、最近思えるようになったこと。▷

私にとっておいしいものは、誰かにとってはおいしくない。私にとっておいしくないものは、誰かにとってはおいしいものかもしれない。嫌いなものを食べてみることは、関係の無かったことに関わること。価値観を広げてくれるかもしれない。
以前まで、絶対的においしいものがある、と思っていたけど違った。おいしさはその人の中にある。だからどんなに理解し難くてもそこには理由がある。測り知れない。どんな食にも寛容でいながら、私はきちんと好き嫌いをしていこうと思った。(以前の投稿文より)

絶対的に正しいことはないからこそ、自分だけや現代の価値観だけでものを測って批判することってできないなって。多様性の中で生きてることを実感すること。あとは今ある物や、先人が作ってきたものへのリスペクトをする。その上で、より良いものを求めるために変化を求めるといいのだと思う。

4領域を横断すること

学び始めて、領域を軽々と飛び越えて境界線が溶けることに価値があると思うようになった。思考も体験も「拡張する」ことはいいことだと思う。一見繋がりのないものを結びつけられること。そのためには、深く掘り下げる縦軸の「専門」と同時に、専門を横断する横軸の視点を持つこと。

なぜ惹かれたか。ジャンルを超えて異なるものが共鳴したり繋がって、そこにあるカオスさと非予定調和であることは、常に新しい世界がある可能性を示してくれるから。

実際に私自身変化したことは、美・教養・芸術への関心が高まった。教養(リベラルアーツ)は専門を超えられる武器だと知ったから、本屋に行くと教養コーナーに行くようになったり、大学で教養の授業が楽しくなった。また芸術的って遠い世界の話だと思ってたけど、破壊と構築を繰り返して新しい領域に達する(見つける)ことだと知って、表現によって新たな世界を拡げる試みなのだと解釈した。世の中は常に動いているわけだけど、芸術=より良い世界を開拓すること、と捉えると、経営や生き方にも通ずると思ってから、全く知らない世界だった芸術に積極的に関わるようになった。また理論だけでなく感覚で表現できると初めて知って新鮮だった。その人独自の美しさと世界観は滲み出るものだから、言葉でも写真でも音楽でもその世界を表現できるって彩りがあって素敵だな。

余談だけど先生は論文を書くことは先人へのリスペクトがあってのものだ、って言っていて、先人が残したものから今だから持っている感覚を乗せてものを作ることは、他者への尊敬だとも思った。こういう美意識があることがその人や物の世界観を作るんだな。

これから

人の数だけ主張がある中で、ますますバランスを取って発言したり取り組みことが必要なんだと思ってる。異なるものを理解する姿勢を持ちながら、融合させることは面白いね。
食に関しては、食べることは生きるためだけじゃない役割があると思ってるから、おいしく食べることに意味を感じている。食べる時間だからできることがあるし、もっといい食べ方があるんだろうな〜〜

最後に、ゼミで読んだ&先生が書いてる本を紹介!


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