箱根駅伝
毎年1月2日、3日。
実家では箱根駅伝を見る。
父が必ず見る。
父がチャンネル権を主張しなくとも箱根駅伝は見るものだった。
それが当たり前で。父の意向を皆汲んでいた。
復路、9区間目。
父は必ず言う。
「ここはな、あんちゃんが走ったんだ」
父方の祖父は戦時中、常盤炭鉱の落盤事故で亡くなった。
それから一家は祖母や父と歳離れた伯父達が家計を支えた。
それでも父とその上の伯父は恵まれていて、二人とも高校を卒業した。
中学校卒業した若い人達が金の卵と若い世代が持て囃された時代に。
伯父と父は足が早くて、県大会の陸上には必ず出場して、県の代表にも選ばれた。
高校を卒業した伯父は就職したけれど、夢を捨てきれず退職して大学に入学。
箱根駅伝は1年から4年までレギュラーで、箱根路を走り抜けた。
父は東京の大学からいくつか推薦が来ていたが、祖母が末っ子の父を愛するあまり東京に行くのを嫌がり断った。
夢を捨てきれなかった父は東京に出た。
伯父が大学入学したのを機にバックアップした。
学費と生活費、伯父に援助した。
伯父は箱根路4年間駆け抜けた。
そしてその後は就職し、家庭を持ち、10年前亡くなった。
父は伯父が卒業して就職、結婚後、自身も結婚して家庭を持った。
結局大学には行かず、陸上競技を愛しながら戻れなかった。
残念ながら、伯父の子も私や兄弟もスポーツに無縁な道を歩んでいる。
父の夢が。伯父の夢が。
あの時代は沢山夢を叶えられなかった人が居た。
沢山居た。
箱根駅伝、選手のあの背中に。襷に。
希望抱きながら叶えられなかった人達の顔が映る。
高校野球、高校サッカー、高校ラグビー。
夢を託す人が、沢山居る。
それは悪いことだろうか。
第99回箱根駅伝は幕を閉じた。
そして、記念すべき100回大会に向け、どの大学も、選手も走り出している。
箱根駅伝、またドラマが始まっている。
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