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思い出したこと2

  • 青い封筒
    市役所から一通の封書が届き、私はまたふと思い出した。だから記しておこうと思う。一部は事実で、一部は想像でしかないが。

  • 8年前のこと
    うちには雄の柴犬がいるのだが、彼の年齢=わたしの術後経過年数なので、今の病状を他人に説明する必要に迫られた時に思い出すのは彼の顔だ。
    甲状腺機能障害からの甲状腺癌の発症でわたしは甲状腺を摘出した。担当医の先生から精密検査を受けるように言われた時も結果甲状腺癌だとわかった時もこんなに痛くも痒くもないのに?とどこか現実感がなくて、これから行われる手術や治療の説明を受けながら、仕事休まなきゃいけないなら繁忙期の冬は避けたいなあとしか思っていなかった。いま思えば正常性バイアスというやつなんだろう。わたしがぼんやりとポヤポヤした受け答えしかしないからか、敏腕看護師さんが「それなら個室になっちゃうけどここなら希望の期間に手術受けられますよ、手術の執刀医は担当の先生ができるように捩じ込みますね」とテキパキと手続きを進めてくれ、繁忙期の冬は避けられ20代の頃からずっと担当してくれている先生が執刀医という安心感の中で手術を受けられることになった。「個室じゃなかったら12月まで埋まってますね」と言われた時はそんなにいるんだ!患者さん!とひっくり返りそうになったけど、どこまでも「進行の遅い癌だからかー。てかそこまでは確実に生きられるんじゃん」とかのんびり考えていた。ちなみに差額ベッド代払っても個室でよかったです。痛みと24時間飲水禁止がほんっとーにキツくて(あれは拷問になる)夜中にナースコールしまくってしまって謝ったら「これが私たちの仕事ですから」という言葉が返ってきて感謝してもしきれません、ありがとう看護師さん。
    犬の話に戻ろう。わたしが癌を告知された次の日に我が家の愛犬はうちに来ることに決まった。「甲状腺癌になりました」と夕飯時に告げ、手術はこれこれこの時期にと大まかなスケジュールを話した後、父親から「先代犬の犬舎に仔犬が産まれたみたいだから見に行くか?」と誘われた。子供の頃から一緒で成人してもドンくさい子分としてわたしを守ってくれていた黒柴の先代が亡くなってから8年は経っており、ときどきその犬舎に一人で仔犬を見に行っても胸の痛みよりもふわふわとした喜びの方が大きくなっていた頃だった。わたし自身は新しい子をお迎えしてもいいかもしれないと思っていたが、両親は先代犬をとても愛しており次の犬を迎える話が出るとは思ってもなかったので大いに困惑した。
    「わたしはいいけどいいの?」
    「行ってもすぐ飼うとは限らないんだ、明日見に行こう」
    半ば強引な誘いにわたしは戸惑いながらもそれこそ甲状腺癌のことなど忘れるくらいに新しい犬との出会いにワクワクした。すぐ飼うとは限らないと言いつつも費用のことなど大雑把な取り決めを話し合う私たちに母親が特に反対を表明しなかったのは、翌日まさかの出会いに我々が撃ち抜かれると思いもしていなかったからだと後で聞いた。
    犬舎は先代犬を迎え行った時と変わらない佇まいでコロコロとした仔犬たちが日当たりのいい道路に面した部屋で眠っている。いつもはガラス越しに寝ている仔犬を眺めるだけで終わっていたがその日はドアを開けて中に入った。先代の時のおじさんは表に出ていないのか、娘さんらしき人がいらっしゃいと声をかけてきた。私たちは会釈をし、室内の道路に面した部屋の子達よりも早く産まれた子がいる一人部屋のケージを見渡した。ケージにいた二匹のうち、その子はケージの中ですっくと仁王立ちになって入って来たわたしと父親をじっと見つめていた。強い意志を感じる眼差し、そして何よりも毛色は赤だったが顔立ちが先代犬にそっくりだった。わたしも父親もその子に釘付けで、ふらふらとケージの側に寄る。わたしの口から思わず出た「似てるね」の呟きに父親も頷き、ブリーダーさんを振り返る。
    「この子は雄犬ですか?」
    「はい、雄ですよ」
    母親は飼うならば雄がいいと強く言っており、まず性別の確認をした。やったーと思ってニコニコわたしが目の前の仔犬を見ていたらブリーダーさんが近づいて来てケージを開けてくれた。顎の辺りをくすぐるブリーダーさんの手を小さな前脚で押さえて、あんぐりと甘噛みする仔犬の歯はとても小さい。
    「この子すごく頑固ですよ?」
    仔犬が甘噛みではなく強く噛んだからか、ブリーダーさんは仔犬のほっぺをびろんと少し引っ張って「いけない」と目線を合わせた。意志の強そうな瞳は反省の光もなくまたあんぐりと口を開け、ブリーダーさんの手によたよたと体当たりしながら戯れつく。私は撫でたい気持ちを抑えてその様子を見つめた。ふわふわの毛、ピンと立った耳、腰が高く長く見える後ろ脚。
    「同じ月齢の雄ならもう一匹だけいますよ」
    ブリーダーさんはケージを閉めると奥に一旦引っ込み、おまんじゅうのようにたっぷりとした体躯の垂れ耳が可愛い雄を連れて来た。昼寝をしていたのかブリーダーさんに抱っこされたままむにゃむにゃとまた眠りに落ちようとする様は大物めいていたが、わたしと父親はケージの隙間から小さな爪を出し見上げる瞳を振り返った。ブリーダーさんが私たちの態度に困惑したような声をあげる。
    「いやでも本当にその子頑固ですよ?」
    「前の子も頑固だったので……」
    「ケージの子をぜひ家に迎えたいんですが」
    おずおずとわたしと父がそういうとブリーダーさんは何度か頷き、もうすっかり寝入っていたおまんじゅうくんを元の場所に戻すと、また私たちが見つめる仔犬のケージを開けた。胸元を撫でてきたブリーダーさんの手にあんぐりと齧り付いた仔犬は、ハガハガと声を漏らしながら楽しそうだ。
    「柴犬を飼うのは初めてじゃないんですね」
    ブリーダーさんは確かめるように私たちの顔を見る。
    「はい、先代もここの犬舎出身で……8年くらい前に15歳でなくなりましたが」
    「あー、じゃあこの子とは5世代くらい違いますね……こら、いけない」
    またびろんと頬を伸ばされた仔犬は挑戦的な眼差しをブリーダーさんに向けている。
    「強く噛んだらこうやって頬を軽く伸ばしても大丈夫ですから……この子本当に頑固なんですよ」
     またパタンとケージを閉められた仔犬ははがはがと柵に齧り付いてくる。そっとケージに指の背を向けるとすんすんと私の匂いを嗅いだ。ブリーダーさんは必要事項を書き留める用紙とペンを持ってきて父親に差し出した。
    「手続きのためにお名前と住所と電話番号をこちらにお願いします。お迎えどうしますか? 明日いらっしゃれるなら準備しますが」
    父親は大きく頷きブリーダーさんに手渡された書類をさらに私に渡した。日本犬協会に登録されている犬なので譲渡の手続きが必要なのだ。
    「明日迎えにきますので、準備をお願いします……お父さんの名前じゃなくていいよ」
    父親の名前を記入しようとしていた私を父親はやんわりととめた。
    「私の名前で書くの?」
    先代の時は父の名前を書いていたので私は不思議そうに聞いた。諸々の初期費用は父と折半ただし医療費や食事などの費用は全額私持ちという話にはなっていたが「私の犬」として登録するとは思っていなかった。
    「そう、お前の名前で登録するんだよ」
    強くはないが有無を言わさない言葉の響きに私は困惑しながらも頷いて自分の名前を記入し、頑固だと何度も言われた犬は「私の犬」となった。犬は最初こそ「犬攫いあいました!」と言いたげな顔をしていたが、8年経った今は私の隣でお腹を見せて眠っている。

  • これは私の推測でしかないけれど。
    新しい犬を迎えた本心を直接聞く前に父親は亡くなってしまった。ただ一つだけ思い当たることはある。父親は若い頃に自分の父親(つまり私にとって祖父)を癌で亡くしている。その時から父親は一家の大黒柱になり、そして母親が言うには祖父の亡くなった年齢を超えるまでは不安に思っていたらしいとも聞いた。
    私が祖父が患った時よりも若い年齢で癌と告知されたことは、死んでしまうとまでは思ってなかったかもしれないがそれでも愛した先代犬の思い出だけではなく、実際の小さくて柔らかい温かい命に縋りたくなるくらいに父親の感情と判断力を狂わせるには充分な出来事だった。
    そして私が落ち込まないように病気と戦う気持ちが持てるように自分が一家の大黒柱になったときみたいに何か責任のある守るべきものを与えたかった部分もあったんだと思う。
    なにぶんその頃は深く考えていなかったので、新しい家族の存在にわたしはニコニコしていたし、ブリーダーさんの言った通りの我を通す気の強さとそれでいて小さな虫にもおっかなびっくり対応する慎重さに癒され、いつのまにか手術もその後のアイソトープ治療も乗り越えてしまっていた。提案がなければ私と犬は出会うことはなく、手術もアイソトープ治療も漠然とした不安を抱えたままだったかもしれない。だから父親にはとても感謝している。
    父親が亡くなった時に役所から渡された必要な手続きの一覧が記載されたチェックシートに犬の登録変更の項目があった。もちろん役所に届けたときも私の犬として登録し、狂犬病ワクチンの通知もわたしの名前で郵送されてくる。
    今年もまた診察台の上で腰が抜けてしまう犬を励ます季節が来て、その隣に父親はもういない。

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