リアルで頭抱えるってこういうこと。
PLAN75の感想
封切りからだいぶ経つがPLAN75を観てきた。まずは映画の印象を言おう。吐息が耳に残る映画だと思った。疲労、怯え、諦念、怒り、……さまざまな呼吸音は生きている人間が放つ音だ。そして一人テーブルにうつ伏せ亡くなった稲子やPLAN75を選択し、ベッドで横たわる人々からは聞こえてこない音でもある。
生きた人間から絶え間なく発生される音で明確に生と死を、感情を伝えてくる。そして観客のこめかみに突きつけるのだ「どう思う?」と。
映画を観終わった後、私はリアルに頭を抱えた。PLAN75は私が普段考えないようにしているところを描き、目の前に突きつけてきた映画だった。
正確に言うなら2年くらいずっと考えて考えて考えて、父が亡くなることで考えなくてもいい時間ができた内容をだ。でもそれは一時的なことで、私はいずれ切実に考えなかった時間のことを後悔するだろう。
これだけは確実に言える。磯村勇斗氏が演じる岡部ヒロムとたかお鷹氏が演じる岡部幸夫が甥と叔父じゃなくて実の親子という設定だったら私は劇場の椅子からしばらく立ち上がることができなかったろう。あと火葬の空きが出るまで4日かかるという言葉は実にリアルで思わず眉を顰めてしまった。そして思う、私はヒロムのようにPLAN75無料プランの真実を知ってもあそこで引き返すことはできないんじゃないか、そして引き返さなかったことを折に触れて思い出し、自己嫌悪に頭をかきむしるのだ。
いま私はPLAN75の感想を全く検索していない。多くの人がPLAN75を否と言っていたら怖いからだ。もちろんなんてひどい制度だろうと思う。政府が出していいメッセージとは思えない。
だけれども倍賞千恵子さん演じるミチは私の未来で、何もかも行き詰まってしまったらきっと私はPLAN75に手を伸ばしてしまうんじゃないかと思う。観た人はちらとも思わないんだろうか。ひどい話で終わってしまうんだろうか。絶望と諦念に塗れた人間に恐怖よりも先に訪れる楽になりたいという感情は異常だろうか。
でも肯定はしたくないのだ。制度としてあってほしくないとも思う。コールセンターの成宮がスクリーンからこっちをじっと見た目に、彼女たちに背負わせたいわけではないんだと言う感情が湧く。それからミチがマスクを外す時にヒロムのことを見据える瞳にぞくりとした。希望のエンディングなのだろうか? ミチが明日会いましょうと口ずさんだ時に脳裏に浮かんだのは成宮の顔であってほしい。何もかも処分してきたミチ残されているものは成宮との縁なのだから。
なんとか言語化したいとここまで書いてきたが一向にまとまらない。それでいいのかもしれない、これについて思考を止めてはならないんだろう。
それから座席から立ち上がる時に忘れ物をしていないか確認するために振り返った時に目に入った、一つ後ろに座っていた親子連れの感想を聞いてみたいとちょっと思った。私は母にまだこの映画を観たことを話せていない。
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