お母さんと呼ばれないお母さん
第一子が産まれたとき、自分の呼称を決めかねていた。
お母さん、かーちゃん、ママ、マミー ってやつだ。
ママ、マミーは柄じゃない。
かーちゃんは響きとして好きじゃない。
だけど、お母さんと呼んでもらうのはどうしてもしっくり来なかった。
そう、わたしは母のことをお母さんと呼んでいる。わたしのお母さんはすごい。大人になって彼女の働きっぷりを改めて考えてみると本当にすごい。
わたしが小さい頃から働いていて、家事もし、さらに資格の勉強もしていた。わたしの高校受験と同じタイミングで、介護系の資格を取得し、さらに大学受験と同じタイミングで別の資格を取っていた。超人。
子どもの頃に母の手作りをお菓子を食べた記憶もあるし、手作りの服を作ってもらった記憶もある...。食洗機も乾燥機付き洗濯機もルンバもないのに。すごい。すごすぎて怖い。
わたしの中でお母さん像とはそういうものなのである。
お母さんと呼ばれる人はそうならねばならないっていう意識が自分の中にある気がした。
「お母さん」とは家事も育児も仕事もこなす。
そんな人物になれる気がしないし、なれなくて苦しむのはいやだ。
そうなったら、それは呪いになってしまう。
日々呼ばれるワードとして、自分の自分のままのお母さんでいたかったので、自分の呼称をお母さん以外にしようと思った。わたしはお母さんとは違う形で、自分のらしい方法で子どもと接したいと思ったのだ。
そんなことを考えながら月日はすぎ、実際なんて呼んでもらうかについて結論が出ないまま1年が過ぎ、気がつくと息子がわたしのことをたーちゃんと呼ぶようになった。
たーちゃん。悪くない。
3歳になった息子は、たーちゃんがお母さんであり、ママであり、たまみであることを理解していて、時折好きな呼び方で呼んでくる。
いまとなっては、お母さんと呼ばれても大丈夫だった気がするが、たーちゃんが気に入っているので、たーちゃんがいい。
たーちゃんとして、自分のまま子どもと付き合っていきたいなって話。
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