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うまく言語化しきれないこと

考え事の切れ端みたいなノート。



人の価値観はそれぞれでいいと思うし
それを受け入れたいとも思うけど
受け入れられないものは受け入れられないとも思う

相手との距離が近いほどそのことを放置していることが
できない

すれ違っても平気な距離感で関係が続く
そういう曖昧で流動的な関係の方が多いけど

人と向き合うということは
突き詰めると自分と向き合うことになるから難しいな

そういうものや人に対してどのように向き合えばいいのか
距離を保てばいいのか、遠ざかっていいのか。


ある一つの価値基準だけで
人の価値が測られることはない

その価値基準自体を持っている人間であること
そのものさしで人の一側面を判断していることがあること
それ自体は自覚する必要がある

無自覚は人を傷つけている無自覚へと連鎖しまうから

その価値基準が正しいわけじゃないよと
その瞬間では心底そう思っていても
本当にそうなのか自分に問うてみた時に
自分もそういう価値判断をしていることがあることや
そういう判断に基づいた行動をしていることもある
誰かを傷つけうる価値基準を持っていること自体に
無自覚なだけだったりすることが脳裏をよぎる

自分の持っている他の価値基準で無自覚のうちに
誰かを傷つけていたことだってきっと何度もある

価値基準に一般的な正解なんてないのだろうし
どんな価値基準も誰かを傷つける可能性もあれば
誰かが救われるような想いにさせられる可能性もある

だから、誰かを傷つけるならその価値基準は直すべきだとか
そういう単純な問題ではないのだろう。

その価値観は果たして、
そう思いたいというだけの信念や思想なのか
実際の自分の価値観や考え方なのか
を区別して自覚することから始まるのかなと
欺瞞しないで。


完璧である必要はないし
失敗はあったって自分のことを責めなくていい

どんな自分でもそれそ自分として認めていいし
変わる必要なんてないよと思う 自分にも 他人にも

自分として受け入れることが難しくて
受け入れなければいけないという重圧が人を苦しめることもある

自己責任と言われる時代
自分でどんなことも責任を負わなければいけないかのような
失敗が許されないプレッシャーのような
そういう類のしきれないほどの重圧があったら
自分の力も自分として出しきれないと思う

失敗しても大丈夫っておもえることが頑張れることの必要条件ではないか


変わる必要はないけど変わったっていい

「自己成長」という座標が自分にあると、今の自分を基準とした時、
今の自分から変わろうとする決意はプラスの方向で
今の自分のままでいることは0。(変わった自分を基準にしたらマイナス)

自分に成長って必要なのだろうか。
成長ってなんだろうか。
挑戦がいいこと、現状維持は甘えなのか。

現状の自分を肯定できると楽に生きられるようになったけど
今の自分ある一面を否定して改善していくという仕方での成長がない分
自分はこのままの自分でい続けていいものだろうかと焦ったりもするすこしだけ。

時間が経てば経つほど
変わる決断をしなかった自分は、
変わる決断をした場合の自分と
どんどん差がつけられてしまっているような劣等感。

でも私は今の自分に満足している。
それならいいのかな?そんなもんなのかな。

でも今年なんらかしらは自分に頑張ったって思えることを残して終わりたい

変わることってきっと難しいんだろうな。
がんばってみたりがんばれなくなったり、現状維持をしたりそういう時期を
いろいろ経験しながらちょっとずつ変わっていくもんなのかな

変わることにはエネルギーがいる
燃費が悪い状態でがんばらなくてもいいんだと思う
そういう時はたくさんエネルギー貯めて自分のこころや体をメンテナンスして調子を戻すことが長期的にみてがんばってるってことなのかな

エネルギーが溜まってきて、走り出すなら今だ


2023/10/15 の下書き 一文字も変えずそのまま残しておく。




 

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