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バツイチ40歳。ゼロスタート【自分史】

ちょっとだけいろいろあった私の人生の記録。
3時のおやつのお供にどうぞ。

【生まれ】
1981年12月

【出身】
北海道の田舎町

【家族構成】
父は銀行員。大きくなったら蕎麦屋やりたいが口ぐせ。頭が切れてユーモアがあり、多趣味の自由人。
母は天然の万年乙女でおっちょこちょいな人。兄、私、弟、弟の4人兄弟。

【幼少期のエピソード】
子供時代の家庭の印象は明るく、ユーモアのある父とおっちょこちょいな母は忙しそうながらいつも楽しかった思い出がある。
4人も子供がいたので、父がきちんと働いてくれていても裕福ではなかったと思うが、貧しかった思い出もない。休みにはキャンプに行ったりプールやスキーに行ったり。ゲームやおもちゃも買ってもらったし、男兄弟で喧嘩は耐えなかったが、まあ良い環境の家族だったのでないかと思っている。

学生時代の私は本もゲームも好きで勉強もできる方だったが、お転婆で遅刻も忘れ物も日常茶飯事。男の子に囲まれてわんぱくに過ごした。集中すると止められず、徹夜で漫画を読んでは翌日の学校を休むこともしばしばで、大人になってから判明したが私はADHDだったようで、おそらく母は大変だったと思う。

ただひとつ。他の家庭と違うところがあった。
兄を妊娠中にこれからの子育てに不安を覚え、キリスト系のとある宗教に入信していた母。
私は物心ついた頃からクリスチャンの規律にそって育てられ、他のおうちと少し違うかもと思いつつ、それが私の普通になっていた。
誕生日もクリスマスも祝わず、祭りなども不参加。校歌も歌わず、お葬式なども行かない。週に3度は会合のようなものに行って勉強する。お友達はよく選び、結婚を考えていないお付き合い、婚前交渉はもちろんダメ。

宗教2世と聞くと少し恐ろしいとか、かわいそうというイメージがあるかもしれないが、我が家は母が天然ゆえ、母自身がその生活、ルールにうまく順応できていなかったように思う。
子供に振り回されているような母はその宗教の中では問題児だったかもしれない。
一方父は、自らは無宗教と言い、子供たちも自主的に従うなら連れて行ってもいいが、嫌だと言ったら連れて行ってはいけないという寛容な考えだった。自分も好きにするから、お前たちも好きに生きろ!という自由人で、そば打ち、キャンプ、狩猟、釣りなどなど実際趣味に走り回る父を見るのは楽しかった。

宗教2世ながら、自分で生き方を決めて良いのだと常に感じていた私は、そのコミュニティの中で自分の場所を作ることを「自ら」選んでいた。同年代の子も多く居心地が良かったし、幼いながらにたくさんの知識を取り入れ、信じるようになっていたのかもしれない

兄弟、母が宗教から少しずつフェードアウトする中、正しいことをしていると信じていた私は、そのコミュニティの中で今後も生きていくことに何の疑問も持たなかった。
婚外交渉など御法度のいわゆる清いクリスチャンとして成長し、高校卒業時の進路も宗教活動を妨げないパートの仕事を選択。将来の活動の幅を広げるためカナダに1年語学留学したりもした。

22歳の時、同じ宗教で、一層活動を促進できるような気の合う相手と結婚した。苦労人でとても優しい性格で、一人間として好きだったし自分にはない色々なものを持っている彼を尊敬もしていた。
結婚4年後、2009年には活動の応援が必要との知らせを受けて東南アジアのタイに夫婦で移住。もちろん全て自費。
約10年間もの間、お金が尽きては日本で2,3ヶ月出稼ぎをして戻るという生活をした。

そうした生活に陰りが出たのは2016年ころ。
私は少しずつ変わってしまっていたのだ。

今考えるとその頃はすでに鬱だったのだと思う。
原因不明の体調不良に十数年苦しんではいたが、それがどんどんひどくなり、無気力に。
◯にたいかはわからないが、消えたいと思うようになり、常に泡のシャボンの中で生きているような感覚があった。

1番近い日本の病院が沖縄だったので、あまりに精神的に調子が悪くなった時、夫が心配して連れて行ってくれて検査したりもした。

それでも上手に対処できず、薬もあまり効かず。
時が満ちるようにして爆発。

ある日突然、1人で勝手にスーツケース一つで帰国してしまったのだ。
縁もゆかりもない土地に降り立ち、メールで夫に離婚を突きつけ、ブロックした。

波乱の人生の幕開けである。
つづく・・

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