お焚き上げtanka 〚字余りって何なのぉぉぉ編〛
はじめに
「短歌ってあの、57577のやつでしょ」
「正直、どう読めばいいのかわからない」
という、そこのアナタ。
よってらっしゃいみてらっしゃい、
お焚き上げ短歌講座の時間ですよー。
※お焚き上げ短歌講座とは、私の過去作の短歌を掘り出して成仏させつつ、その短歌の意味を解説しながら「短歌をどう読む(鑑賞する)と楽しいのか、どう詠む(作成する)と楽しいのか」をゆるーく話していく講座です。
前回の お焚き上げtanka を読んでくださった方、ありがとうございます。
今回紹介するのはこの二首↓
・エビアンのペットボトルに水道の水を毎晩継ぎ足して生きる
・一瞬でいいの「お前変わんねぇな」って変わる前の二人に戻して
今回は〚字余りって何なのぉぉぉ編〛と題しまして、短歌の"字余り"の技法について簡単にお話していきたいと思います。
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短歌とか、よくわかんねぇよ…という方も一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか、字余りと字足らず。簡単に言うと、字余りとは57577ではなくて57578である短歌、字足らずとは57576である短歌のことを指します。
まぁ、読んで字の如くという感じではありますし、「へぇ、それだけの話」と思う方もいらっしゃると思いますが…実は字余りと字足らずってメチャクチャ奥が深いんですよね。ふふふ。
エビアンのペットボトルに水道の水を毎晩継ぎ足して生きる
こちらは エビアンの/ペットボトルに/水道の/水を毎晩/継ぎ足して生きる で57578、字余りです。
短歌というのは基本的に「日本語の57577の文化ってヤバいから、そのリズム感を大切にしていこうぜ、定型(基本の57577)最高」というポリシーのもとに作られるので、ただ単に「あれれ、字がはみ出ちゃった…」という字余りではアウトなんです(字足らずも同じく)。即刻退場させられますよ、偉い人たちに。なぜ字が余ったのか、という"字余りの理由"が必要なんです。
ちなみに上記の歌の"字余りの理由"は「毎晩継ぎ足して」というところにあります。継ぎ足し、継ぎ足し、半永久的に淡々と継ぎ足されてゆく水道水。この歌の日常はきっと明日も明後日も続いていくのだろう、という半永久感を字余りで表しています。
※継ぎ足して、の「て」を抜いて57577に収めるというパターンもありますが、簡単に助詞を抜いたりすると「どうして「て」を抜いたの?」と偉い人たちに問い詰められる可能性が高いです。ら抜き言葉とかも。怖。
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続いてはこの一首、
一瞬でいいの「お前変わんねぇな」って変わる前の二人に戻して
こちらも字余りの短歌ですね。「水道水の歌みたいな感じじゃないじゃん」と思った方、ナイスですね。確かにさっきの歌とは雰囲気が違います。字余りの理由はなんでしょうか。こちらの歌は声に出して読むとわかりやすいかもしれません。それじゃあ、読んでみます。いきますよ。
一瞬でいいの「お前変わんねぇな」って変わる前の二人に戻してぇぇぇっ!!!!!
伝わりましたか。えー、つまり感情の爆発ですね。同窓会などで久しぶりに会った二人でしょうか。一瞬でいいからあの頃に戻してよ!と駄々洩れしてしまっている主人公の感情を字余りで表現しました。
先ほど私は字余りには理由が必要だとお話しましたが、その理由というのは別に難しく考える必要はありません。ディープキスを表現しました、とか、残尿感を表現しました、とかどんな理由でも大丈夫。作者の想いが詰まっていれば大丈夫です。
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詠み始めた頃は「なんとしてでも定型で詠まなくちゃ(震)」という感じでしたが色々な知識を身に着けていくうちに、だんだん調子に乗って「字足らずだらけにしちゃお」「英語入れちゃお」「絵文字入れちゃお」とか、革命児になりたくなっちゃうんですよね。新しいものって楽しいし。
ここ最近は世の中が暗くて、いろいろなものがゆっくり動いたり、止まってしまったりしています。けれど短歌は、ツイッターなどで「短歌」と検索すれば、毎分毎秒あたらしい歌が生まれて続けています。新しいもの、古いもの、とても古いもの、半永久的に淡々と生き続ける歌たち。なんだか凄くいいものに出会えたなぁと思う、今日この頃です。
では。
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