3月、母の死に寄せて
3月の中頃、母が亡くなった。
タイトル通り今回はその話なので、苦手な方、そういうの読む気分じゃない方はここで閉じていただきたい。
母は6年ほど前からがんを患っていた。
最初にわかったのは、ステージ4の食道がん。ちょうど今ぐらいの桜の季節のことだった。
なかなかに絶望的な状況ではあったが、母はなんとか頑張ってくれて、良い先生にも恵まれて、幸いにも治療は成功した。
ただ、その後も、いくつもいくつも新しいがんができた。それはもう、吹き出物かというレベルで。ひとりの人間にこんなにもがんができるものなのかと…。
見つかっては対処し、を繰り返して、一年に4回も手術をしたこともあった。病院の先生も体質としか説明ができないようだった。無理もない。
それでも、入院して戻ってきた母はいつも明るくて元気で、病人とは思えないほどだった。その姿に、私を含め周りが励まされていたぐらいだろう。
そこから数年は落ち着いたかに見えたが、去年の春にまた新しいのが見つかり、どうやらそいつが少しずつ母のからだをむしばんでいったようだった。
特に、年が明けてからは入退院の繰り返しだった。初めての救急搬送もあった。毎日のように何かが起こって病院通いの日々になった。でも、よくなるどころか、母の具合は悪くなる一方だった。
そんな中でもなんとか治療を進めようというところで、母のからだに限界がきてしまったようだ。いや、限界なんてとっくに超えていただろうと思う。
治療のために入院してから一週間少したった日の朝。
病院から呼び出されて久々に目の当たりにした母は、私の知っている母の姿ではなかった。
ぐったりとベッドに横たわって、目も虚ろだった。
私たちが来たことは分かったようで父と私を交互に見つめていたが、息苦しさのために言葉もほとんど発することができなかった。
かろうじて口にした言葉は、「バイバイ」の4文字だった。
それから、母は何か言いたそうにこちらを見ているように思えたが、私は目にいっぱいの涙をためて手を握ることしかできなかった。なんだか子どもみたいな手だった。
しばらくして、母は目を開かなくなり、呼びかけにも応じなくなった。ただひたすらに息を吸って吐いてを繰り返していた。
そうしてその夜更け、そのまま息を引き取った。
奇跡的に意識を取り戻すとかドラマみたいな展開はない。
最期の瞬間には立ち会えなかった。
病院のきまりで深夜の付き添いは父1人だけ。父からの電話を受けて病院に着いたときには、もう亡くなった後の処置をしているところだった。
この6年の間ずっと心の奥底で恐れていたことは、こんなにも突然に、いともあっさりと現実のものになった。
悲しい気持ち。
寂しい気持ち。
悔しい気持ち。
やるせない気持ち。
つらい気持ち。
嫌だという気持ち。
それでも頑張ろう、前を向こうと言う気持ち。
こんなところで負けない。これで私の人生ぐちゃぐちゃにしようったってそうはさせねぇという気持ち。
でも結局、いまだによく分からないという気持ち。
うまく言葉にできないたくさんの気持ちが、入り乱れてこんがらがって錯綜している。
そして、ぐちゃぐちゃでいっぱいいっぱいなのに、空っぽでもある。
母に言いたいことはたくさんある。
無理をさせてごめん。とか。
お母さんの強さに甘えてごめん。とか。
もっと一緒にいたかった。とか。
なんでこんなにも早くいってしまったの。とか。
よくも冴えない親父をこっちに残していきやがったな。とか。
よく、「私が死んだらあとはよろしく」ってケラケラ笑ってたけど、冗談じゃねぇ。
でも、やっぱり、伝えたいのはたくさんの「ありがとう」だ。
いつも、病気になっても、おいしいご飯をつくってくれたこと。家をきれいにしてくれていたこと。
たくさん旅行やお出かけに連れて行ってくれたこと。色々な経験をさせてくれたこと。どうでもいいことも、余計なことも、役に立つことも、大事なことも、あれこれ教えてくれたこと。
私の愚痴も、好きなものの話もたくさん聞いてくれたこと。趣味に付き合ってくれたこと。
私の進路を応援してくれたこと。私が大学院に進学したり、非常勤と並行したり、わけの分からん先の見えない道を歩み始めても、何も言わずにずっと見守っていてくれたこと。
なにより、
私を生んでくれたこと。
ここまで育ててくれたこと。
そして、最後に会う時間をくれたこと。
お別れの言葉をくれたこと。
書ききれないほどの、数えきれないほどの「ありがとう」がある。
もうそれを伝えることはできない。
親孝行らしいことも大してできなかった。
この気持ちはどうしたらいいのかとも思うが、今となっては本当にどうしようもない。
もらった心とからだを粗末にしないで、もらった命を大切に生きていくこと。
それが、これからの私にできるせめてものことなのかなと思う。
目に見えるもの、見えないもの、これまで意識的にも無意識的にも受け継いできた大事なものをたずさえて。返せなかった分は、これまでに出会った、そしてこれから出会うであろう大切な人に。
そういう気持ちで。
なんだかとりとめのない、ただのひとりよがりな内容になってしまったけれど、いつかどこかでくじけそうになっているかもしれない未来の私へ。
このときのことを忘れないために。
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