ささやかな「やりたいこと」をないがしろにしない
「やりたいこと」というと、人生をかけてやっていきたいことのような、なにかスケール大きなものをついつい考えてしまう。それがなかなか見えなくて、焦ったりモヤモヤしたりしてしまう。
でも、最近気がついたことがあって、「やりたいこと」というのは、なにもそんな壮大なものでなくても、もっともっと小さなもの、些細なものでもよくて、それをちゃんと叶えていくことが思ったより大事な気がしている。
たとえば、
ミスドのさつまいもドが食べたい
好きな作家さんの本が読みたい
スパイスカレーをつくりたい
おばあちゃん家に行きたい
海を見ながら好きな音楽を聴きたい
地元でふらっと小旅行がしたい
とか。
こんな、その気になればいつでもできそうなこと。それが、わたしはできずにいた。やろうと思えばいつでもできるからこそ、どんどん後回しになって、結局やらないままだった。
今はほかにやることがあるから。
それは別に大事じゃないから。
遊んでいる場合じゃないから。
そういうことばで自分の小さな「やりたい」を抑え込んで、なかったことにしていた。
そんなことをしていたら、いつしかわたしの生活は「やらなきゃいけないこと」に占拠されて、いっぱいいっぱいになって、疲れてしまった。
すこし休んで好きに過ごそうと思っても、自分は何がやりたいのか分からなくなっていた。何かしたい気がするけど、何もしたくない。それでずっと悶々として、心がよどんでいくようだった。
でも、あるとき、いつものように「また今度にしたら?」と言ってくる自分をいったん追いやって、できたらいいなと思っていたことをやってみた。そしたら、なんだか元気が出た。
それから、少しずつではあるけれど、「これいいな」「楽しそうだな」と思った小さなことを放っておかずに実現していくようになった。
そして、案外そういうところに幸せを感じられる瞬間があったりした。小さなやりたいことを叶えていくなかで、自分がなにに幸せを感じるかが見えてきた。
ほんとうに些細な、なんでもないようなよろこびをぎゅっとかみしめて味わうこと。わたしにとっての幸せってこういうことなんだろうと思う。
夜明け前のきれいな星空
やさしく雄大に空を染める朝焼け
聴いている音楽と目の前の景色がぴったり合う
広い景色をながめてただぼーっとする
お味噌汁を飲んでほっとする
かぼちゃの煮物がおいしい
こういう瞬間があるだけで、わたしの心は満たされていく。
自分のことを思い返してみればすっと腑に落ちるのに、なぜか今までずっと気がつかなかった。
どんなに些細な、くだらないことに思えても、「やりたい」という気持ちに蓋をし続けていると、自分の幸せはどんどん見えなくなっていく。そしたら、きっともっとスケールの大きな「やりたいこと」だって見えなくなってしまうだろう。
逆に、小さなやりたいことを満たしていけば、それがどんどん広がって、そのうちもっと大きなやりたいことも見えてくるのかもしれない。今はまだ分からないけれど。
でも、少なくとも、小さなやりたいこと、なんでもない幸せをちゃんと大事にするようになってから、やらなきゃいけないことをする元気も出やすくなって、前よりも停滞感が少なくなった気がする。流れがよくなったというか。
だからこれからも、ささやかな幸せや、ふと浮かんだやりたいことをないがしろにしないで、大切にしていきたいと思う。
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