そもそも男子は掃除をちゃんとやらないといけないのか?
小学校の放課後の一幕。
机を移動し、生徒たちが思い思いの掃除道具を手に取り掃除を始める。
昨日はお前ほうきだったんだから、今日は雑巾係だろ!的なやり取りを交わしながら。
黒板を消し、ほうきでゴミを集め、雑巾で床や机の脚を拭き、あっという間に教室は清められていく…
いや、いかない。
丸められた雑巾が宙を飛び、ほうきはバットと成り代わり振り回される。だいたい空振り。ぶんぶんと音だけがホームラン。
黒板消しは、チョークの粉錬成機としてばふんばふんされる。人の顔めがけて。もう、ばっふんばっふんだ。
そして、気の強い女子生徒が声をあげるのだ。
「男子、ちゃんと掃除やってよね!!!」
と、ここで疑問が一つ。
そもそも男子掃除ちゃんとやる意味ってなんですのん?
いや、女子なんてもっと。
なんでそんなに真面目に掃除やってますのん?
いきなりエセ関西弁でごめんなさい。
別に現代の教育現場に問題提起をしたいわけではないです。
私が今考えあぐねているのは、組織における役割期待のお話。
企業の中でもこういうことって起こりがちだなと思っていて、例えば上司が部下へ求めること。
「分からないことは勉強しとけよ」「言われる前に報告しろよ」「常識なんだからこれぐらい当たり前だろ」「金もらってんだからちゃんとやれよ」
なんで勉強しないとですのん?
なんで言われてからじゃだめですのん?
なんで常識が当たり前ですのん?(そもそも常識ってなんですのん?)
金もらってたら何でもやらないとですのん?
ボランティアの団体でもよく起こる話で。
「これぐらい知っていて当然だろ」「やりたいことだけやってないで、やりたくないこともやってよ」「もっと本気で人生かけてよ」
なんで知っていて当然なんですのん?
やりたいことだけじゃだめですのん?
人生かけなきゃだめですのん?
なんか全部「男子ちゃんとやってよね!」の精神な気がするのです。
やりたくてやってる(決まりや職務としてやらざるを得ないとしても)のは自分の方なわけで、それを人に当たり前として求めるのはなんだか無理あるなーと。
たぶん野球ごっこやりたいんでしょ。女子も。
掃除の方を能動的にやりたいと思ってるなら、人の行動は関係なくて、掃除めっちゃ楽しいうっひょー状態になってると思うんですよ。
なのに、人に注意をする。
「俺はやりたくないことやってんのに、なんでお前らばっかり楽してんだよ。ズルい!!!」
っていう本音が透けて見えるんですよね。
これがすごく気持ち悪くて。。
素直に「これ嫌だから、皆でせーので終わらせちゃって、それから野球しない?ばっふんばっふん」って言ったらいいのにね。
ばっふんばっふん言えない上司なり何か団体の組織をまとめる立場の人は、相手がやりたくないということをまず理解してから「どうしたら目の前の相手が向かって欲しい方向に自発的に向かうか?」ということを考えたらいい。
「金もらってんだから当たり前だろ」
じゃあ、人って動かないと思うのよね。
動いてもパフォーマンスすごい低そう。
ましてやボランティアなら金すらないからね。
「〇〇のために、やって当然でしょ」
ってもう偽善以外の何者でもなくて。
その人の中にあるなんかいい事したい欲をうまくくすぐって乗せていく必要があるんじゃないのかな。
本当に自分がやりたいことを満たすなら、まずは人の欲を満たしていくのが重要な気がしています。
やりたいのはあくまでも自分だということを忘れずに、人に動いてもらうことへの感謝を忘れずに。
クレバーなやり方したいですね。
やってもらって当たり前は傲慢ですなぁ。
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