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愛するということ

愛されることのなかった私が大人になり、
愛すべき家族を亡くし、半年を経て思ったこと

2023年4月、最愛の犬が亡くなった。自分の命よりも大切な子だった。ペットではなく、家族だった。この子のために働き、この子のために生きていた。

実のところ、私は愛し、愛されるということがよくわからない。親は私のことが可愛くないという。実の子だけれど、仕方なく他人の子を預かっているような気持ちで育てている、そう言われたこともあった。

私と犬との出会いは、今から15年前のゴールデンウィーク。東京で働き、一人暮らしをしていた私は、兄が犬を飼ったというので見に来た。特に犬、動物が好きなわけではなかった。それでもひと目見て「かわいい」そう思った。それから、帰省のたびに犬と過ごした。

その6年後、私は体調を崩し、一人暮らしができなったため実家に戻されるのだが、犬のお陰で、家族と暮らすことはそれほど苦にならなかった。
夜の間、兄と一緒に寝ていた犬は、朝起きると、走って私の居るリビングにやってきた。その足音がたまらなくかわいかった。「おはよう」そう言って、撫で回した。キスをして、ハグをした。犬はペロペロと私を舐め、それに答えた。日中はいつもピタッとくっついて過ごした。寒い日は共にこたつに入り、暑い日は共に干からびた。ずっと一緒だった。
3ヶ月くらいすると、犬は私と一緒に寝たがった。夜になると、部屋の外からドアを叩いた。いつしか一緒に眠るようになった。
毎日お散歩に行き、たくさん歩くという犬との生活は、私の鬱を少し良くした。ある日、犬がアレルギーを起こした。私は手作り食を作ると決めた。一回作るからには、この子が死ぬまで作り続けること。途中でまたドッグフードに戻すのは可哀想だからだ。

それからは色々なことがあった。

父からの夜逃げ、引越、両親の離婚、PTSD(トラウマ)の再発、バイト中の不在。犬に怒鳴ったこともあった。蹴り飛ばしそうになったこともある。どれも犬にとってはストレスだったであろう。

結局、犬は幸せだったのだろうか。
それはわからない。きっと私が虹の橋を渡るときまでわからないのだ。

ただ…私は幸せだった。
何故なら、犬を愛することができたから。

あの子は私だったのだ。
物心がつく5歳くらい、自分の異物感、存在の違和感に気づいた頃の私。その5歳の私を、現在の私が愛し抜き、育てたのだ。私がしてもらいたかったことを施し、自分の寂しさを埋めるがごとく。そして私が満たされたとき、犬は死んでいった。

私が犬を愛した。それはすなわち、幼い私が、私に愛されて育ったということだったのだ。思っていたのとは違うけど、よくドラマとかで見たのとは違うけど、少し曲がって、歪になったとしても、愛するってそういうことじゃないかなと思う。

幸せな15年をありがとう。


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