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一乗谷のアトリエ

2020年10月終わり、福井に帰省した時の事。
私の師匠の松崎鐘美先生のアトリエ兼自宅がどうなっているか確かめるため、一乗谷を訪れました。
15年前に奥さんの後を追う様にして亡くなった松崎先生には後継ぎがおらず、
気になりながらも、なかなか様子をうかがう機会がなかったのです。

松崎鐘美先生のアトリエは一乗谷の山の少し上にあり(住所もほんとに”一乗谷山の上一軒家”といいます)
そこに行きつく道は、ただ足で踏み固めただけのけもの道のみでした。
高校生の頃、私は毎日の様にカルトンや画材を抱えながらそのけもの道を登って、先生のアトリエに通っていました。
冬の一乗谷は雪がたくさん降るので、けもの道が見えなくなり、崖から転げ落ちそうになった事もありました。

アトリエは先生が古民家を自分で改造して建てた不思議な間取りの建物で、
自分のや他の作家の絵やオブジェが所狭しと飾ってあり、(中にはピカソやマチス等の素描も混じっていた)
良い意味で前衛的、悪く言うと奇妙奇天烈でちょっと怖い家でした。

さすがに眺望が良く、越美北線の電車が通るのがよく見え、誰かが下にやって来る様子まで分かったので、
先生は「●●が来たから玄関に灯りをつけろ」とか「あいつには会いたくないから鍵をかけろ」などと奥さんに言いつけては応対もしくは居留守を使っていました。

床は絵の具や木のくずや埃だらけですごく汚くて、先生のとこに行く時は靴下の予備を持って行っていたな・・・

薪ストーブのパイプが張り巡らされて冬は暖かかったけれど、夏は扇風機のみでとても暑くて、いろんな虫がたくさん出るのも嫌でした。

私は大学受験が近づくと毎日そこに泊りがけでデッサンや色彩構成の練習をして、翌朝先生が学校に送り届けてくれるという日々でしたが、
その間の食費などは全く請求されず、むしろ家よりおいしいものをたくさん食べさせてもらえて、先生の養子になっても良いかもと思ったりも・・・

変人で、大酒飲みで喜怒哀楽が激しくて、うまく描けないと怒鳴られて蹴り倒されたりもしたけれど、
私にとても影響を与えてくれた先生で、アトリエにも思い出がたくさん。

前置きが長くなりましたが、15年ぶりにいざ訪れた松崎先生のアトリエは、
完全に山の一部となっていました。

道中のけもの道は草で覆われながらも名残がありましたが、
建物の周りは木が大いに育って、どうにか形を垣間見れるだけです。
入り口に近づく事も出来ない、完全なる廃墟。

簡単に人を寄せ付けない先生らしいなあと、思わず笑ってしまいました。
アダムスファミリーみたいに、奥さんと一緒に変な幽霊になっていて、今もアトリエで絵を描き続けているんじゃないかな。
いや、絶対そうだね。 

わあー 見たいなあ。 
幽霊になった松崎先生の絵。

アトリエだけを見に来たつもりだったし、それが廃墟になってて本当なら悲しいはずが、
思いのほか先生の気配を感じて気持ちが高ぶってしまいました。
先生はお墓じゃなくてずっとここにいたんですね。
そしてきっとこれからも、永遠にここに。

よかった。

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