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11/22〜12/12 月と祈りと子守唄


人生で初めて”感謝”を心から感じたのは,いつだっただろう。「ありがとう」という言葉を覚えたときではなく,心で感じたとき。

「こういうとき,なんて言うんだっけ?」などと促されて,「ありがとう」と口にすることを覚える。そんな親子の場面は日常でもよく見かけるし,私もきっと,そんな風にして教わってきた。

でも,感謝を心から感じているときの,このあたたかいものを,最初に感じたのはいつだっただろう。「嬉しい」で終わらせられるときとはちょっと違う,この感じ。

歩きながら記憶を辿ってみるのだけれど,まだしっくりこない。案外,”最近”のような気もしている。



オーケストラを聴きに行った。大好きな楽団。大好きな交響曲。東京公演の生放送のラジオを聴いた夜は,緊張してなかなか寝付けなかった。(次の日は試験だったのに…)

演奏会に,その時に自分ができる最大限のおめかしをして,足を運ぶ。これを,〈音楽〉のためにやっている,なんてことはとても言えないのだけれど,それでも,私が”できること”であり,”したいこと”だ。おばあちゃんになっても,したい。


演奏後に,思わず隣に座っていた女性に「とっても素晴らしかったですね…!」と話しかけてしまった。そこから,コンマスのファンだということを話してくれたり,ショパンコンクールの話になったり,実は同じ演奏会に行っていたことがわかったり,…。

「職場で,こんな風に話せる人がいなくて…!」「わっかります…!」と,すっかり心の中では手を取り合っていた。


みんなが,それぞれの想いを抱えながら,演奏会に足を運ぶ。そして,ひとつの音楽が,それぞれの心のなかに含まれて,帰っていく。それ自体が,音楽だなぁと思う。そして,その音楽のなかにいられることを,幸せに思う。



森田真生さんと伊藤亜紗さんの対談を聞いてから,〈月〉や〈空〉のことを想う時間が増えた。

そんな余韻のなかで,齋藤陽道さんの『異なり記念日』を読んでいたら,子守唄が生まれた瞬間の描写に〈月〉が出てきた。それだけじゃなくて,森田さんの”転回”のお話と,齋藤さんの本から伝わってくる〈祈り〉みたいなものが,私には繋がっているように感じた。


齋藤さんの本に出てくる,「まなみさんの子守唄」。手の物語。

樹さんの「い」が魚になって泳ぎ出し,「つ」の鳥が空を飛び,親子で食事をする動物「き」へと変わる。また別の日には,「い」「つ」「き」が流れ星となって樹さんの顔に降りそそぐ。

この場面を,何度も読んでは,どんなだろう,どんなだろう,と想像している。〈ことば〉の海を,思い出させてくれる本。


この本から繋がって,今は,『手話を生きる』を読んでいる。論文を書き終えたら,日本手話を学んでみたい。



屋久島のさわちゃんの,6歳のお誕生日。えりさんが送ってくれた写真を見ると,夏には生えていなかった前歯がすっかり揃っている。おめでとう,さわちゃん。

居候させてもらっていたときに,さわちゃんは毎日「ねぇねぇ,たまちゃん!」とカーテンから顔を出して,綺麗な色の小石をくれたり,私の好きな色の画用紙をくれたり,宝物を見せてくれた。私がメイクしていると,さわちゃんも隣でお化粧ごっこをしていた(筆箱に色を塗って,アイシャドウパレットに。メイクブラシは,シャボン玉吹き棒!)。最後にお別れするときは,船が動き出すとさわちゃんは走り出して,何度も投げキッスをくれた。

私の屋久島の思い出には,いろんなさわちゃんの声がする。

素敵な友達がまたひとつ歳を重ねたことが嬉しい。いつか一緒に,お化粧して,お出かけしようね。



久しぶりに絵を描いた。画用紙が,あたたかかった。






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