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「個人」という概念のワナ――ひとつの顔の裏にある複数の存在

「分人」という言葉があります。作家の平野啓一郎さんが、「個人」という存在を社会とのつながりの中で分解し、提示した概念です。そもそも「個人(individual)」という語は、分割する(divide)と否定接頭辞(in-)を組み合わせてできており、「それ以上、分割不可能な最小単位」という意味を持っています(*1)。平野さんはこの「個人」という言葉が意味する、分割不可能で唯一無二の自分(本当の自分)という考え方が実状にそぐわないのではないか、さまざまな対人関係ごとに見せる複数の顔すべてが本当の自分であるのではないか、という思いから、個人ではなく「分人」(dividual)という概念を提案しています。

実は、同じことが90年代後半に実際の調査でも指摘されています。社会学者の浅野智彦さんは、若者(16-30歳)の友人関係の調査結果をもとに、いわゆる“広く浅くつきあう社交的なタイプ”でもなく、“交友関係の狭い内向的なタイプ”でもない、“状況志向的なタイプ”が存在するといいます(*2)。”状況志向” とは相手に合わせて複数のキャラを使い分けつつ、どこかに本当の自分があるわけではなく、キャラすべてが本当の自分であると主張する、多元的なパーソナリティーのことです。ひとりの人間でありながら、状況や文脈によって異なる相貌を見せる「分人」であるといえます。

また、最近では、電通総研による「若者まるわかり調査 2015」(*3) でも、複数のキャラを使い分け、SNSのアカウントを目的やシーンに応じて複数使い分けている若者の姿が浮かび上がっています。

マーケティングの世界でも、このような捉え方が浸透しているのではないでしょうか。ひとくちにカスタマータッチポイントといっても、テレビを見ている時、電車の中でSNSを利用している時、ニュースを閲覧している時、ECサイトでショッピングをしている時など、状況はさまざまです。物理的にはひとりの人間であっても、感じ方や行動が常に画一的ということはありません。消費者のコンテクストやその時どきの気持ちを重視する考え方は、メディアや広告の受容態度は同一ではないことを前提にしています。

人間は、ひとりあたり100兆個の細胞から成り立っており、約3万の遺伝子を持っているといわれます。すでに医療の分野では、遺伝子診断によって得られる情報をもとに、対象となる患者に有効な薬剤や治療法を判断する“テーラーメード医療”の研究が進められています。マーケティングも、個人を単に平均的なペルソナとして捉えるだけではなく、多様なキャラの集合体として把握する時代に突入しているように思います。

注釈:
(*1)平野啓一郎, 2012, 『私とは何か――「個人」から「分人」へ』講談社現代新書.
(*2) 浅野智彦, 1999, 「親密性の新しい形へ」『みんなぼっちの世界』恒星社厚生閣: pp.41-57. 
(*3)電通総研「若者まるわかり調査 2015」(https://www.dentsu.co.jp/news/sp/release/2015/0420-004029.html)

本記事は、2016年9月28日に掲載したInsight for Dの記事を、note用に許可を得て転載しています。
※元記事:https://d-marketing.yahoo.co.jp/entry/20160928419023.html
(Insight for Dは2020年6月30日に終了予定です)

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