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本当に必要な防災訓練ー自分の安全を最優先に

武蔵野美術大学大学院 クリエイティブリーダーシップコース クリエイティブリーダシップ特論Ⅱ 第9回目 2020/07/12 

国士舘大学 防災・救急救助総合研究所 嘱託研究員/教官のデイビッド・佐伯潤先生にお話を伺う。

佐伯先生は防災・人命救助の教官らしく屈強な見た目ながら、デザイナーのご経験と知的財産にかかる法学の教員としてもご活躍されマルチな能力をお持ちのスマートな方で、講義内容は迫力があり、ロジカルでありとても、心の奥に刺さるようにデザインされた内容であった。

訓練の価値とは

まず事前課題では、バイオテロを想定した事例でお店で複数人が倒れた場合、どういう判断でどう行動をするべきかという問いから始まった。

この場合まず、消防に連絡して、自分自身の安全を確保することが正しい行動となる。状況から消防が事件と判断した場合、警察に連絡をするので、まず連絡するのは119番。その場から人が出ないように封鎖をして被害が拡大しないことを防ぐというのが、テロ発生時の対処となるらしい。

次に事前の問いでキーとなるお話があった。避難訓練や救命訓練など、訓練に参加したことある人の中で失敗したことがある人は全体の1割にみたない。

佐伯先生が危惧しているのは、このポイントである。
訓練とは成功するまで失敗を重ねることが訓練の価値である。失敗を経験しない訓練は、本当の意味での訓練と言えないのだ。
訓練には基礎があり、その上に技術・技能が積み重なる。初心者が初めてスポーツの試合に出られないのと同じ理屈だ。

講義中にまた難しい問い。
あなたの大切な人二人を思い浮かべてください。
被災してどちらか一人なら助ける状況の場合、どちらを助けるか。

正解はどちらを選んでも正解である。この状況での失敗は判断しないことだ。とてもシビアで心に響く問いである。

災害対応における絶対的なルール

講義中なんども繰り返されるルールがあった。
それは、「自分自身の安全を最優先すること」だ。
自分を守れない人に他人を助けることはできない。
平時に求められるあなたの役割がある。そして個人の無謀が被害を広げてしまう。
自分の安全を優先し、訓練していないことはやらないこと意識する必要がある。
心のケアも同じ。外傷だけでなく、心のケアも知識なく行おうとすると自分自身が気がつかない間に傷ついてしまうことがある。

救急車の基本情報

119番があった場合、救急車が出動する。
乗務員は3名 法定速度で向かう。
搬送できるのは1名だけ。
慌てて、素人が助けに入り怪我をすることで、自分が要救護者になると、
その分救急のリソースを奪うことになってしまうということを意識することが重要。
実際直近の豪雨の救助活動の事例では、4日で7名の救助ができたそうだ。
しかし、それら7名は他県から助けに来たボランティアが救助対象となり、被災県の負担を増やし、本来助けるべきだった人たちの救助の機会を奪ってしまうことにも繋がる。個人の無謀が被害を広げるという基本は肝に命じなければならない。
500人の被災者がいた場合、重篤者1% 5人 重傷者2% 10人 軽傷者が17% 85人ほどの割合となると想定すると、医療措置がすぐに必要なのは重篤者、5人から優先に重傷者10人となるはずである。しかし実際は、ほどんど軽傷者が病院を逼迫させることになるのが現状だようだ。
自分で動ける軽傷者が病院に押しかけることで、すぐに対応が必要な重傷者の対応機会を奪ってしまう。自分で動ける軽傷者が病院に押しかけることで、すぐに対応が必要な重傷者の対応機会を奪ってしまう。
地域の医療崩壊は被災者自体が災害化することで引き起こされるため、市民自身の冷静な判断と対応が必要となる。
そして、災害時には必ず救急車が30分以内にくることは考えにくいので基本的にはAEDは使用しない方がいいというお話もあった。

安心と安全は大違い

マスクや防災グッツなど、プロが使う道具を備えているから安心というのは危険である。どのような道具でも使い方を正しく心得ていないと身の危険を犯すことに繋がるからだ。
まずは必要な道具の情報を得て、使い方を習得することが必要である。
信憑性の低いデマの情報を得て安心することも同様に危険であるように、
防災グッツで最低備えるべきものはヘッドライト・換えの電池、反射ベスト・シール、そして正しい情報だ。安易に安心することのない警戒心、状況に応じた想像力を保持することが大切だ。

仲間のためにできること

お前が助けにいく必要があるのか、他にできる役割はないのか、無茶をするな 被害を広げないための声掛けが必要。

じゃあ私たちは大切な人や、目の前で苦しんでいる人を助けるために何もできないのか?

そうではない。助けるなということではなく、きちんと訓練を受けた上で、自分の安全を確保し、自分にできる救助活動を判断して行うべきだというお話だ。

助けたければ、できるようになるまで訓練しよう。シンプルな話である。

感じたこと

形骸化した学校や会社の避難訓練はますます無意味なるだろう。
本当に命を守るということはどういうことか、まず有事にすべきことは何か。浅い知識でやるのは無謀ではないか。自分にできることは何か、苦しくも判断すべきことは何か。冷静にシビアに認識することが災害大国日本の住民に必要な意識なのだと痛感した。

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