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供の者

少しの遊び心。愛するあなたを想って本作品を創作しました。


「供の者」


私の支えている主人は私の年齢よりも三まわりはゆうに超えているでありましょう、年齢の割には美しさをしっかり保ち、艶のあるウェーブがかった黒髪をなびかせるいわゆるご婦人で、パートナーも子供もいないものだから、仕事で稼いだお金で悠々自適に過ごす、いわゆる成功者と言われる人間でありました。

私は住み込みで働かせていただいており、部屋はリビングに面した場所に、あまり言いたくはないが大変狭い部屋(装飾など何もない殺風景な、でもトイレはございました。まぁ、狭い方が私は落ち着くので願ったり叶ったりではありました。)をあてがわれておりました。 食事は家のコックが主人に作っているので、その残飯ともいえぬ豪華なものを毎日貪り食っているのでした。

生まれてこの方、私は自我を抑制できない体質であり、喜怒哀楽も激しい。子供の頃から、気分が昂揚して、遊んでいた相手に怪我をさせることもしばしばありました。
激高すれば誰にでもかみつくし、一人で留守番をしたと思えば、寂しさで留守番中泣き続ける始末。風呂に入るのは嫌いだし、月に2度本当に嫌々入るだけでございます。歯磨きはこれも嫌々2日に1度。異性を見ればすぐになびいて行くし、間食が大好きなので人の目を盗んでは何かないか探しておりました。
そんな私がまっとうな仕事に付けるわけもなく、流浪と化していた私を拾ってくれたのが今の主人でございます。主人にとっては慈善活動の一環でありましょうか。得てして私は主人のおかげで生きていけるようになったのでございます。

とはいえ私には難しい仕事などできませんから、もっぱら主な役割と言えば、主人の買い物や散歩の付き合いであったり、晩酌の話し相手であったり、家の番であったりしたのです。
私は主人が大変大好きでありまして、主人が帰ってくればそれだけで嬉しく、主人の時折見せる少女のような笑顔を見るだけで嬉しく、できるだけ一緒にいたいと思うほどでありました。
もちろん給与なんてもらえませんでしたが、衣食住を与えていただけましたので、それは大変感謝しておりました。
楽しかったのかですって??
お話しいたしました通り、主人のことが大好きでしたし、喜怒哀楽も激しかったものですから、普段穏便に過ごしていても、それはもう退屈しない日々でございましたよ。

主人と出会ってから3年ほどでしょうか、とある日食事が喉を通らなくなりました。
病です。
生まれてこのかた病などとは無縁で、真冬でありましたが寒さにはめっぽう強かったものですから、まさか私がこのような事態になろうとは思わず。最初は何が起こったのか不安で不安でたまりませんでした。
この時ばかりは主人と使用人に病院へ連れて行ってもらい、お医者様に診てもらいまして、まぁ頭のできも悪かったもんですから、結局何がいけなかったのか私にはさっぱりで、お医者様の言っていることは良く分かりませんでした。
ただ、あまりよろしくなかったのでしょう。主人の悲しそうな顔がそれを物語っているのだけは、いくら地頭の悪い私にも分かりました。

日によっては立ちあがれることもありましたが、専ら自分の部屋で伏せっておりました。
それでも主人の顔を見れば嬉しくてすぐに起き上がりたくなりますし、美味しい残飯が来ればこれまた嬉しくて立ち上がりたくなります。
苦しいは苦しいのです。
寝ていても苦しくて、一人でいましたら、それはもう寂しゅうございまして、主人のことばかり考えておりました。

ある日の朝、目は覚めたのですが、目が開かないのです。
家の使用人が騒いているのは聞こえておりましたが、すぐにまた眠りこけました。
気持ちのいい燦燦としたペリドット、絨毯のような草原を歩く夢を見ておりました。
ああ、気持ちのいい。青臭さもすっとするハッカのような鼻通り、涼しい風と一層映える黒髪をなびかせる主人の麗しい横顔。

どのくらい眠っていたのでしょう。
今度はちゃんと目が開けられまして、すると目の前には大好きな主人が優しい顔で座しておりました。
看病していただいていたのでしょう。
身体はもう一切動く気配もなく、息をするのも億劫な状態でございました。
それでも主人がここにいるだけでなんと幸福な事か。私は果報者でございます。

主人は濡れ雑巾のような顔で、私の毛並みを優しくなでながら言葉をおかけくださいました。
“私はあなたを幸せにできたかしら?”
“ありがとうね、ポチ。ゆっくりお休み。愛してる。”

ええ、大好きなご主人様、これからもずっと一緒におりますよ。

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