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教団信仰告白とホーリネスの群

                                       Rev. Y. USHIO(仙台青葉荘教会牧師)

1.教団信仰告白の受難
  毎年、5月から6月は教団内17教区の教区総会が開催されます。教団の機関紙「教団新報」では、逐次各教区総会の内容が報告されます。教団新報の記者の視点により、その報告は多様です。字数制限の中で、各教区の取り組みや特色がみられます。
  その中で、目についたことがあります。それは教区総会で教団信仰告白を告白(表現は朗読)するとの提案です。これは議場に諮られ多数決で否決されました。この教区では、毎回このようなやり取りがなされているようです。
   筆者は、奥羽教区と関東教区に在任したことがあり(現在は東北教区ですが)、いずれの教区も総会の開会礼拝では、日本基督教団信仰告白が告白されていました。
   信仰告白を教区総会の開会礼拝あるいはいずれかの時に、告白または唱和、または朗読するにせよ、そこに教区の姿勢を感ぜずにはいられません。
教区総会において、教団信仰告白が告白されない教区があり、告白しようとの提案(議案)に対して多数で否決する教区がある。そこに教団信仰告白の「受難」を感じます。

2.教団信仰告白の成立と意味
 日本基督教団は、教憲教規の前文にもある通り「30余派の福音主義教会およびその他の伝統をもつ教会は、それぞれ分立して存在していた」ものです。1941年戦争遂行のために制定された宗教団体法による合同です。各個教団・教会の信仰の機縁による自主的合同ではなく、軍国主義政府からの強制的な合同でした。年月をかけて合同の内容を協議し、熟したものではありません。それでも合同した教団は、信仰告白(信条)を制定しようと始めます。注1  しかし、国の締め付けは、厳しく信仰個条の内容さえも、注文をつけるのです。『「信条特別委員会」で「先づ教育的なる教理問答より入ること」として「信仰問答草案」の作成に入ります。その「問答」について、文部省は「創造神否定、キリスト復活の削除」を求めました。これは迷信であるというのです。村田四郎教学局長はこの時に初めて「殉教を決意」』とあります。注2 
 創造神、キリストの復活、贖いの否定。現在の教団の一部分の牧師はそう主張します。戦時下の国家の支配と同じ理屈です。
 敗戦により、文部省の締め付けはなくなりました。戦後間もなく、旧教派の教会が教団を離脱しました。ようやく落ち着いた頃に、教団は信仰告白制定に向けて歩み始めました。
   離脱した旧教派の教会の中に、教団に留まる教会もそれなりにあったのです。教団は瓦解しませんでした。完全に元の旧教派の教会に戻ったのではないのです。まさに、「くすしき摂理のもと御霊(みたま)のたもう一致によって、おのおのその歴史的特質を尊重しつつ聖なる公同教会の交わりに入るに至った」注3 のです。
 こうして日本基督教団信仰告白が制定されます。信仰告白は、戦時下の国家の強権によって強制的に合同させられた教団の信仰告白ではなく、戦後、教団に留まった教会の信仰と祈りによって制定された信仰告白であり、自由と未来を志向する聖なる公同の教会としての信仰を謳った(賛美)のです。

3.「ホーリネスの群」の立場とその信仰
 戦後、同じホーリネス系の旧6部、9部の教会の多くは、教団を離脱しました。しかし、ホーリネスの群の100余の教会は教団に留まりました。
 ホーリネスの群は、戦時中、この宗教団体法により成立した日本基督教団の第6部として教団の一員になりました。1941(昭和16)年6月24日および25日の両日、富士見町教会において日本基督教団創立総会が行われました。その1年後の1942年6月26日、治安維持法違反の廉で6部、9部の旧ホーリネス系教会の牧師96名が検挙、逮捕、1942年4月には28名が逮捕されました。教団は、6部、9部の牧師の教籍を剥奪、教会は解散させられたのです。全滅です。逮捕された牧師の中で6名が留置場で獄死、殉教しました。
 戦後、牧師たちは無罪放免、復権。教会は復興します。教団の冷たさにもかかわらず、ホーリネスの牧師はそれを寛大に赦し、主イエス・キリストからの宣教命令にひたすら応じようと伝道に邁進したのです。
 しかるに、1970年の反万博闘争から発した、いわゆる教団紛争により、ホーリネスの群は分裂しました。教師検定試験で受験生の「イエスをキリストと信じる信仰告白」を基準にしない、つまりその信仰を問わない教団のあり方に対して、東京聖書学校の卒業生は、受験拒否をしました。ここでも教団信仰告白は、受難に憂き目に遭ったのです。
 ホーリネスの群の有力な教会のいくつかは、教団を離脱し、新しい教団をつくりました。しかも、東京聖書学校の校長はじめ教授陣の大半が離脱したのです。創設された新教団の信仰告白は、何と日本基督教団の信仰告白の口語版です。受難に遭っている日本基督教団信仰告白は、教団以外のところで、生きているのです。

 教団に留まったすべての教会が一致して、一つなる教会の形成に向かったわけではなかったでしょう。旧教派の伝統は根強く残っており、信仰告白に関しては、「信仰告白は教会存立の基礎であって信仰告白をもたない教会はあり得ない」とするもの、また信仰告白の主体を各個教会に求め「教会全体の信仰告白はその最大公約数にすぎない」として拘束性を認めないもの、成文の信仰告白をもたない立場のものなどが、寄り合わさっていたわけです。注4
 ホーリネスの群は、信仰告白が制定された段階で、信仰告白を受け入れ、積極的に礼拝で告白する。これがホーリネスの群の立場です。それが弾圧と受難を経験したホーリネスの群が、教団内で特色ある伝統と教理を持ちつつ、一つなる教会を形成していこうと目指す基準であるからです。

注1  日本基督教団史資料集一巻
注2  原 誠「教団の成立と信仰告白成立の歴史」講演録
注3  日本基督教団教憲前文
注4  原 誠「教団の成立と信仰告白成立の歴史」講演録  

参考資料
 ウェスレアン・ホーリネス教団信仰告白

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