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7/13 オクトラ二周年

筋金入りのスーファミ世代である。はじめてプレイしたゲームは偉大なるレア社の『スーパードンキーコング』だった。

ドンキーをプレイする兄の隣にちょこんと座り、ブラウン管を見つめているだけで楽しかったあのころ。ときどき「おまえもやるか?」とコントローラをゆずってもらったりしていたが、わたしのゲーム史はいつだってこの記憶からはじまる。

「ゲームは一日30分だけ!」という、うしろから浴びせられる母親の怒号も聞こえないくらいに、夢中になって遊んだ。

いにしえの3DO、ゲームボーイ、セガサターン、64、ゲームボーイアドバンス、PS、PS2、PS3、DS、PSP……ありとあらゆるハードとソフトが我が家にはあった。今思えば暇さえあればゲームをしているような子供だったと思う。

だがそんな楽園のような日々は、社会人になってから一変することになる。週に一日しかない休みはもっぱら疲れきった体を癒すために寝て過ごすことが多くなり、さらに休みという安堵からか、起き上がることもままならなくなっていた。ベッドのなかでただひたすらに浅い眠りを繰り返すだけの無為な休日。そうなると必然的にゲームをする気力もなくなってくる。そうして気づけばいまいましい月曜日がやってくるのである。まったくもって世知辛い世の中だ。

同時にリメイクありきの、ただ美しいだけのゲームにまったく食指が動かなくなっていたということもあり、今どきのゲームそのものに興味が薄れていたことは否めなかった。蛇足だが、わたしはゲーム好きではあるものの、未だにPS4を所持していない人間なのだ。

ちょうどそのころ、わたしは二次創作におけるSNS疲れを発症していた。それを機に登録から8年目に突入していたツイッターのアカウントを指先ひとつで消去し、メインジャンルからひっそりと去り、孤独にFF6の二次創作に勤しんでいた。

オクトパストラベラーの名前はそれより前から知っていたが、どうせ最近のゲームなんでしょう? と色眼鏡で見ていたところもある。

しかしそのときにどこかで見かけた

オクトラはFF6が好きなひとには絶対ハマる

という言葉がオクトラをプレイする最大の決め手となった。FF6は大好きな作品だ。その作品に似ているというのならば、プレイしてみてもいいかもしれない――なにかに導かれるように、わたしの指はAmazonのページを開いていた。

Switchを持っていなかったのでSwitch Liteを買い、一緒にオクトラのソフトを買った。発売から一年以上経ってからのプレイとなったが、懐かしさを感じるその世界観に、わたしはすぐさまのめり込んだ。オクトラは久しぶりに心の底からおもしろいと思えるゲーム作品だったのだ。

自堕落に過ごしていた休日はアラームをかけて早起きをするようになり、一日中ゲーム漬けというこれまでの生活では考えられなかった休日に変わっていった。子供のころ感じていた、あの楽園に足を踏み入れているのかもしれないと思うとわくわくした。

時間を忘れるほど夢中になってゲームをプレイしたのはほんとうに久しぶりだった。どれだけゲーム漬けの日々を送ろうが、頭ごなしに叱る大人はもういない。わたし自身が大人になってしまったから、好きなときに好きなだけゲームができるのだ。これぞ大人の特権。

オクトラは美麗なムービーが用意されているわけでもなく、お人形のようにきれいな顔をしたキャラクターが出てくるわけでもない。ごくふつうの、8人の旅人たちの物語を追っていくRPGだ。ありきたりな、なじみのあるバトルも、ほんのすこしスパイスを効かせれば戦略性の高いシステムに様変わりする。わたしはたまらず舌を巻いた。

西木康智氏による耳に残る旋律も素晴らしかった。プレイしてすぐに音楽がいいなと思い、光の速さでサントラを買い、設定資料集と小説も買った。誰がどう見てもオクトラ沼にどっぷりとハマっていた。

繊細なドット絵が描きだす懐かしく美しい世界観は、古きよき、それでいて最先端のレトロゲームの名に相応しい。そんな魅力と新しい風を凝縮したすべてがそこにはあった。

もちろんすべてにおいてオクトラは優れた作品だと断言することはできない。とりわけイベントシーンにおける会話のテンポの悪さは見直すべき部分のひとつだとわたしは思っている。なんせ主人公は8人もいるのだ。ひとによっては同じことの繰り返しのように思えて飽きてしまうかもしれない。かくいうわたしも何度か飽きて中断し、『VA-11 Hall-A』というカクテルを作るサイバーパンクゲームにうつつを抜かしていたこともある。

だがそういった長短もすべてひっくるめて、オクトパストラベラーには感謝しかないのだ。ありがとう、オクトラ。わたしはゲームがこんなにも楽しいものだったという感情をすっかり忘れていた。その気持ちをまざまざと思い出させてくれたのは、他ならぬあなただ。

そしてあらためて二周年、おめでとう。星の数だけ人生模様があるように、オクトラもプレイヤーの数だけ旅路の軌跡が残る。そして三年目に向けてプレイヤーの新たな旅がはじまるのだろう。

だから。わたしもこれから旅支度を始めねばならない。さあ、もう一度旅に出かけよう。彼らとの旅は終わらない。これから先も続いていくのだ。

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