ウルクのりんごのはなし

をしようとおもって古文書をあさったんだが、ḫašḫur(りんごの実または木)を示す単語のある文献がみつけられない。
アレっと思って親愛なる(私がかってに親愛のきもちを抱いている)ジャン・ポテロ先生の本をあさってみたがここにもりんごの記述はない。
しかし私はこの地域でりんごが獲れると思っていたので、じゃあ底本はどこだ?と探してみた結果、どうも1964年にアドルフ・レオ・オッペンハイムが書いた「死せる文明メソポタミア」の中でḫašḫurを「りんご(またはその木)」と翻訳してしまったことが原因なのではないかと思えてきた。
そうするとこれを基底研究としている文献はすべてḫašḫurをりんごとして扱っているので、二次資料が間違っていたという話になってくる。

西洋リンゴの原種とよばれるMalus pumila Millerはコーカサス地方が原産らしいので、そのあたりからりんごが入ってきたのか、あるいはそれが食べられるりんごであったのか、日常的に栽培されていたのか、というところが焦点になるのだが、トルコで8000年前ころの炭化したりんごがみつかった、という記述の元論文がみあたらず、メソポタミアにおける野生種またはプランテーションの痕が発見された記述もなく、
もうこうなると信頼性はともかく何かてがかりになるかもしれないのでWikipediaをのぞいてみたが、英語版のほうにもアレキサンダー大王が紀元328年にカザフスタンでりんごを食べたという記述しかみつからない。

で、最終的に科学系の論文に頼ることにした。
NCBIの食用りんごに関するやつだ。
りんごの原種から栽培種(Malus domestica)になる過程の遺伝子研究とそれに関わったイエバエのことについて書いてあるんだが、もちろん私はこのあたりまったく専門外なので、かいてあることの半分もわからない。
しかしながら最終的にトルコのほうにあったMalus OrientalisまたはレバノンのほうにあったMalus trilobataという二種がこの地域にあったMalus属として絞られた。絞られたのだが、Malus Orientalisはなかなかにシブくて酸っぱく、Malus trilobataに関しては洋ナシのようでおいしいらしいがさくらんぼ大の実しかならないようだ。
結局カフカスのほうのM. sylvestrisという甘い品種が栽培種のりんごの基礎になっていて、この論文によると今のようなナマ食用の大きなりんごは今からおよそ4000年前(紀元前4000年ではなく今から4000年前ということなので紀元前2000年ころ)にできたようなので、ウルクとは時代が合わない。

これ、どうも、いわゆる大きな我々が考えるようなりんごは
メソポタミアになさそうだ。
私もあると信じてた。

過去の私の著作を読んだかたには今ここで訂正させていただく。

ウルクでりんごは多分たべてない。

中央アジアでのりんごの栽培はギリシャやローマの人たちがカフカスの甘いりんごをヨーロッパやアフリカに持ち出して、それを逆輸入するかたちで始まったようで、想像だけれどもこれが最初のほうに話したアレキサンダー大王がカザフスタンでりんごを食べた話なんかから繋がってくるのだろう。
もちろん今回の話はこの論文からわたしが知り得た話になるので、
もっと深く検証しないといけない問題ではあるのだが、
たくさん調べた結果、このḫašḫurという単語はUrannaというテキストに記述があるようで、これがバビロニア時代のテキストらしいので、
だいたい前1000年くらいとおもうと、この時期にりんごが栽培されていた可能性はある。

おやおや、話がもどってきてしまったぞ。
オッペンハイム先生はなにをもってḫašḫurを他の果物ではなくりんごと訳したのだろう。
ちょっとこれをきちんとわかろうとすると英語の本を一冊よみきらねばならないので今パっと語れる範囲ではない。
今回は自らの不明を恥じるとともに、やっぱりわからないことしかないものですねという尻切れとんぼな結果になってしまった。

近所で10個いり390円という破格のりんごを買ってきたので、
この問題を考えながらわるくなるまえに食べ切らねばなるまい。

というところで、また次回。

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これはおひねり⊂( ・-・。⊂⌒っ