中世ヨーロッパの衛生概念

ゆえあって中世ヨーロッパの食べ物周りの本を出すことになり、
資料と領収書とこれから買わなければならない本のリストに埋もれて
気が遠くなっているわたしです。

さて、このあたりの本を書くことになったとき、
家族含め回りの人間からこういった反応がありました。

「中世ヨーロッパって、不潔で野蛮な中世でしょ」

確かに、現代の人間の感覚からすると理解しがたい部分が
あるのは確かですが、はたしてそう一言で済ませていいものか。

一口に中世といっても大分長いので、細かいことは時代時代で
変わって来るのですが、いわゆる「中世ヨーロッパ入門」のような本に
たいてい書いてあるのは、このような一言です。

「一人にひとつのコップはなく、共通のコップを数人で使い回していた」

簡潔ですね。
ちょっときもちわるくなった人もいるかと思われますが
これに関しては少しく注釈がある。
当時一般的に、特に男の人は、自分の家では
自分専用のコップを持っていることが普通でした。
別に当時の人々も、喜んでコップを使い回した訳ではないということです。

この当時の食事風景の資料として残っているのは、
ほとんどが宴会の記録です。
日常のささやかな食事については、
あまり注視されていません。
宴会というからには人が集まるわけで、
このような状況(1つか2つのコップをテーブルの全員で
使わなければならないような)が起きる背景として、
「食器の格がその人の地位や立場を表す」
ということがあります。

宴会場で出す食器は基本的に目に鮮やかな、
きらびやかで高価なものです。
銀の縁をつけた彫り物入りの角で作ってあったり、
金メッキをしてぶどうの房飾りを彫り込んだり、
よその人に堂々とみせられる美しい食器です。

当時こういったものは現代人が想像するよりも
はるかに高価で、遺言状に遺産として残されたり、
壊れたとしても一家の財産として記録されたりするような
しろものであったので、
言ってしまえばお客様の数に対して、
豪華な食器が足りないのです。
かといって、人数に間に合わせようとして
木や皮や素焼きのコップは出す訳にいきません。
お客様は軽んじられたとして大層ご立腹なさるでしょう。
場合によっては流血沙汰です。

しかし、他人が口をつけたコップは、
しかもそれがあまりお行儀の良くない相手だった場合、
非常な不愉快を産みますので、
この不愉快をできるだけ軽減するような
対策を講じる必要がありました。
当時のマナー本などみていますと、

「家でやるようにパンをコップの飲み物に浸さない」
「コップのふちを持たない」
「コップに食べ物のあとをつけない」
「べたべたした口で飲み物をのまない」

等等、家にいるときのつもりでついやってしまいがちな
数々の注意がびっしり書かれていて、
みんなこの出来事にどれだけぴりぴりしていたかが分かります。
宴会に出るより自分の家で好きなものを好きな様に食べて
自分のコップを使い、暖炉のそばにいたほうがいいと
ぐちぐち日記に書いている人もいるくらいです。
これを、「中世はまだ野蛮でマナーが発達していなかったからだ」
という人もいらっしゃいますが、
現代のマナー本にだって、

「ナプキンを台拭きのかわりにしない」
「背中を丸めて座らない」
「スープのお皿は持ち上げない」

なんてうっかりやりがちな
初歩的なことが書いてあったりするでしょ。
こういった背景をまったく考慮せず、
ただ「中世は手づかみでたべていた」「コップを使い回していた」
野蛮な時代だと、断定するのはちょっと違うきがする
そんな私なのでした。


これはおひねり⊂( ・-・。⊂⌒っ