ギルガメシュ王と文字の話

前回あんな感じにかっこよく締めたけれど、じつはギルガメシュ王がいたかいなかったかに関してはまだよくわかっていない。

ギルガメシュ、ビルガメシュ、ビルガメシなどと呼ばれている彼が、現状「実在しない伝説の王」とされているのには幾つか理由があって、まずギルガメシュ叙事詩成立の時代とギルガメシュ王がいたとされる時代にかなりの隔たりがあること。

現在のところまとまって出てきたギルガメシュ叙事詩はだいたい前1300年あたりにバビロニア語で書かれたもので、その前のものは前1800年くらいにアッカド語で書かれた断片があるのだが、ギルガメシュ王はシュメルの人だし、いたとしたら前3000年〜2500くらいの時代だ。

ただ、キシュというメソポタミア北部、アッカド系の都市にエン・メ・バラゲシ(エンは主人とか王様という意味なので、バラゲシ王という感じかな)という王様がいて、前2800年くらいの人なのだけど、この人がエラムという街を攻め滅ぼした記録があり、実際エラムでその頃大規模な戦争があった痕が発掘でわかったので、実際した物的証拠があるから実在した、ということになっている。

そうすると、このエンメバラゲシ王の記録とその息子であるアッガ王の記録の両方に出てきて、かつギルガメシュ叙事詩という別だての文献もあるギルガメシュ王も、たぶん……実際したんじゃないかなあ……証拠はないけど……。

というところまでが、現在わかっている部分だ。

王が実在した時代と叙事詩の成立がだいぶ離れているので、このあたりを後世の人がつくったうそ話だと思う人も結構いるようだが、それが嘘かどうか簡単に判別できないのには、文献の問題と言語の問題と文字の問題が関わってくる。

話しやすいところから話す。まず文献の問題。

シュメル王名表という、歴代の各都市の王様の名前をシュメル語で記した文献があって、前3000年くらいのことはこれを基準に考えることが多いのだけど、偉大な昔の王様であればあるほど長生きに書かれていて、在位期間が900年とかわけのわからない数字になっちゃってたりする。当時のこの地域は60進法を使っているので、どね王様の年代も60またはそれに類する数で割り切れるのだけど、にしてもちょっと、いつのことだかよくわからない。最近の研究では炭素年代測定と記録された王の実在の間に開きがあるのがわかったので、以前はウルク期は前4000年くらいだと思われていたのが、もしかしたら1000〜500年くらい時期が前だおしに最近になる可能性もある。わたしのコラムではこの説を採用してウルク期を前3000年くらいの時期に置いている。

次に文字と言語の問題がある。シュメル語はアラビア語やヘブライ語と同じセム語系の言葉で、しかも表意文字だ。でもアッカド語はインド・ヨーロッパ系の言葉で、しかも表音文字だ。はっきりしているようだが、シュメルがアッカドの前の時代を担っていて、シュメル語がアッカド時代になっても公式文書で使われ続けたことから、アッカド語のテキストは表音文字のはずなのに明らかにしばしば同じ文字を表意として使っている。ウシというカタカナと牛という漢字が混在しているようなもので、しかも両者で読み方が違う。

わたしたちの漢字かな混じり文法に近いが、漢字が中国と日本で連綿と使い続けられ、いまなお一番古い時代の様子を多少なりと残しているのに比べて、シュメル語やアッカド語の文字は日常的に使う人がいなくなってしまった文字なので、大量の表意文字が何を表しているのか、判別するのはかなり困難なのだ。今までに1500語ほど特定されたが、それでもまだわからない部分が多い。

それから文字の成立の問題がある。文字が発明されたのはだいたい前3000年くらいだと言われている。ギルガメシュ王やエンメバラゲシ王の時代だ。ただ、この頃の文字はウルク古拙文字といって、ぶっちゃけほとんど絵である。絵なので、絵に描けない概念的なものは表しにくい。

そもそも、これらの文字は最初は文字というより量を表すために作られた。粘土という書き付けるためのものに困らなかったので、これを平らに伸して棒でひっかいて数を数えた。必要があったら、そこに牛や羊や麦や、何を数えたかわかるような絵をつけておいた。これが前5000年くらいのことだ。

言葉を伝えようというよりは全くの必要として、メモのように発生したものであり、その後どんどん形や単語を示す法則(注意して欲しいのは言葉の文法ではなくあくまで文字を示す法則ということ)が整理されていって、前3000年くらいに絵文字として、つまり特定の法則をもった決まった形として成立したのだけれど、ウルク期のタブレット(ここでは粘土板のこと)はこの整理がまだそんなにされていない上に、ほとんどが数量管理のものでしかも断片、結果一部の例外を除いてこの頃の文章はほとんどまだ読めない。ここから500年くらい経つとちょっとマシになり、1000年くらい後になるとだいぶ読めるようになる。読めるようになるけれど、それは文字が判別できるというだけで文章の意味がわかるわけではない。

例えばわたしたちが手紙を書くとき、宛名の書き方は二通りある。手紙の頭に最初につける場合と、最後に自分の名前と一緒にまとめて書く場合だ。わたしたちの文字と言葉、書類の様式はかなり体系化されているし、同じ認識の中で生きているので、どちら側に送り先の名前があだったとしても、これはAさんからBさんに送った手紙であるとわかる。

だけど、今から遡って5000年前の人たちの中で、たとえば「羊 13 牛 6 女 みぎこ」という文章が見つかったとき、これは果たして「みぎこという女が羊と牛を誰かに送った記録」なのか、「みぎこという女が羊と牛を受け取った受領証」なのか、「羊と牛と女をみぎこに送った」「羊と牛と女がみぎこから送られた」「羊と牛とみぎこという女を送った」「羊と牛とみぎこという女が送られてきた」あるいは授受の記録ではまったくなく、「みぎこは女と牛と羊を持っている」などなどの全てがあてはまってしまう。

もちろんこれを書いた人たちは意味も理由もわかっていたのだろうが、今となっては聞いてみるわけにもいかない。そういうわけで、当時の文献が見つかったからといって意味がわかるわけではないし、書かれていることがこんな感じだから、物語が文字に起こされるのはもっとずっとずっと時代が下ってからになってしまうのだ。

ただ、文字は言葉を表す方法ではあるが言葉そのものではないので、文字にされていないから物語はなかったのだ、というのはいささか短絡的じゃないかと思う。

わたしがそう思うというより、今のところそのように思われているので、ギルガメシュ叙事詩のおおもとになる話はかなり昔から口伝えに伝えられていたんじゃないかというのが今のところの説である。

ちょうど神話と伝説と歴史が重なり合う部分において、人類は優れた文学を残してきた。ギルガメシュ王は、そうした重なり合う時代の神話の英雄であり、重なり合う時代の歴史の王であるんじゃないかと、私は個人的に思う。

さて、長い文章を残すのにあまり向いていなかったウルクの最初の文字だが、じつはこれがあるとないではこの地域の発展度合いは大きく違った。

長くなってしまうので、あとはまた次回。

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