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【670/1096】ラジオを聞いて②

専門家と話をしていく中で
きみの死の方向性が独特な感じを受けた
そのせいなのか
わたしは遺族会へ行くことを
尻込みしていた
なんで行かないのだろうと
自分に疑問を持っていたのだけれど
その気持ちの内訳も
ラジオの方の話から言語化されて
謎が解けた

そうだったのか
他者の話から
理解に近づくことは多々あって 
とても大切な気づきだと
改めて感じる

自分事として理解が深まる人と
他者のことならば理解できる人と
その事案にもよるのだろうけど
わたしは後者だろう
自分は近すぎて 罪深すぎて
理解が遅くなる

"事実を把握すること" は

自死に関わる中でとても大切だと
臨床心理士の方に何度も言われている
事実から離れないこと
自分たちが出来ていたこと
環境としては整っていたこと
それらを忘れてはいけないらしい

自分の感情とは別の
あったはずの事実を
把握しながら向き合わないと
自責自罰が強くなり
見るべきことが見えなくなっていく
思い込み 偏り 
誰も幸せにはならない方へ進みがち
本当の意味できみのことを
理解できなくなっていく

知ること 学ぶことは
自分にとって救いとなり
きみとの関係性も変わる
考えて向き合うことは無駄でない
そう思える

その人の世界はその人のもので
その人の考えがその人の世界を
形づくっていく
それらのすべてを
他人は知るすべもなく
変えることもできない

ただ 話し合ったり
理解し合えたりはするだろう
それらの機会を失ったことの
無念さと後悔はなくならない

なんでも深く掘り下げるきみの
考えに考えた末の決断だとしたなら
わたしたちは
受け入れなければいけないし
尊重できたらなと思う

まだ今のところは
もうきみは苦しんでいない
くらいにしか思えないけどね
わたし達の世界では
きみの不在はただの
悲しみ さみしさでしかない
すこしずつ 受け入れていけたら
そうは思っているよ

きみはみなを愛していたこと
わたし達もきみを愛していたこと
それらに変わりはない
そして その事実は
きみの死生観と関わりがなかった
そう 意味づけをした

関われたらよかった
とまた 未練がましく思う
悲しいのは止められない
けれど ラジオを聞けてよかった
ありがとうございました

今日もありがとう
残された者の日々