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「理想の自分」の追いかけ方 #研究コラムVol.8

理想と現実のギャップ

突然ですが、あなた自身が才能を発揮している状態を思い浮かべてみてください。

現在の自分自身の姿を思い浮かべるよりも、今以上にスキルアップしていたり、まだ取り組めない大きなチャレンジをしていたりといった、さらに成長した自分の姿をイメージする人が多いのではないでしょうか。仕事でより成果を上げている自分、周りの人に頼られている自分、競技でパフォーマンスを発揮している自分、などなど。

今回の研究コラムでは、このようなときにイメージされる「理想の自分」と「現実の自分」のギャップについて取り上げてみたいと思います。誰もが多かれ少なかれ感じているこのギャップについては、心の健康や行動に対して、功罪両面の影響があると言われています。株式会社TALENTのTRC (Talent Research Center) で行っている才能研究でも、才能発揮と密接に関連するものとして、この種のギャップに注目しています。

社会心理学の分野で研究が重ねられている学術知見を参照しつつ、才能発揮との関連を見ていきましょう。

ギャップを埋めるカウンセリング

まずは、今回のテーマとなっている「理想の自分」と「現実の自分」について、学術的にどのように扱われているかを確認しましょう。

社会心理学や臨床心理学の分野では、「理想自己」と「現実自己」という、直感的にわかりやすい用語で呼ばれています。

理想自己を初めて実証的な研究で取り上げたのは、カウンセリングの礎を築いたアメリカの心理学者カール・ロジャースだと言われています。「傾聴」をはじめ、現在でもカウンセリングやコーチングの分野で広く活用されている技法を理論化した人物なので、名前を耳にしたことのある人もいると思います。

ロジャースによると理想自己は、個人が非常にそうありたいと望んでおり、その実現に高い価値を置いている自身の姿を意味します(Rogers, 1959)。ロジャースは自身がカウンセリングを行なってきた経験を踏まえ、自身の行動や経験(現実自己)と理想自己が一致していない状態だと、自分のなすべきことがわからなかったり、やる気が出なかったり、自己評価が低かったりと、ネガティブな状態に陥ることを指摘しました。

こうした状態を脱して、自分自身を肯定的に評価できる状態にするためには、理想自己と現実自己の一致度を高めることが重要となります。ロジャースによれば、この一致度を高めることがカウンセリングのポイントとなるわけです。


図1 ロジャースのカウンセリング理論

カウンセリング界の巨人が、自身の理論において重要なポイントと位置づけていることからも、理想自己と現実自己のギャップが人間の悩みや苦しみの根幹と関わっていることがうかがえます。

挑戦を続けるか、諦めるか

理想自己と現実自己のギャップに直面した人間がどのような行動をとるのか、動機づけとの関連から論じた研究をもうひとつ紹介しましょう。

Higgins (1987) では、現実自己と理想自己の差異が生じると、その差異を縮小する方向に動機づけが働くことが指摘されており、「セルフ・ディスクレパンシー理論」と呼ばれています。ディスクレパンシー(discrepancy)とは「差異」のことで、この差異がある状態では悲しみや失望、不満足、落胆といったネガティブな感情が生じます。

ネガティブな感情はそれを解消する動機づけを生むため、差異を縮小するための行動が発生します。この仕組みに関する一連のメカニズムは、Carver と Sheier という2人の心理学者によって「自己制御過程」として整理されています (Carver & Sheier, 1990) 。

差異が検出され、理想自己に届いていないことが認識された場合、現実自己を理想自己に近づける行動が取られます。大会でなかなか優勝できないアスリートなら、優勝している理想自己に向かうために、練習量を増やしたり、練習環境を変えたりするでしょう。その行動の結果、見事優勝を勝ち取ることができるなど、理想自己に近づくことができた場合は、この制御過程はいったん終了します。

一方、理想自己に近づかない場合は、そもそも理想自己が可能なのかどうかの判断がなされます。実現可能だと判断された場合は再び理想自己に近づく行動が実践されます。実現可能性が低いと判断された場合には、不安や落胆などのネガティブな感情が生じ、理想自己を下方修正したり、諦めたりする動きが発生します。現実自己を変化させるのではなく、理想自己側を動かすことで差異を縮小するわけです。

図2 理想と現実の差異を縮小する自己制御過程モデル

理想自己と現実自己、どちらを動かすにしても、差異が許容可能な範囲に縮小するまでこれら一連のフィードバックループが回ることになります。

ギャップが悪玉とは限らない

ここまで紹介したロジャースのカウンセリング理論やセルフ・ディスクレパンシー理論では、理想自己と現実自己のギャップはおおむねネガティブなものと捉えられていました。

しかし、自己制御過程の一連のメカニズムに注目すると、理想自己に近づくための前向きな努力にギャップがつながっているという見方もできます。全面的に悪玉のものではなく、人間の成長の源泉としてポジティブに働く場合もあるということです。

どのような場合にポジティブに働くかについては、水間(1998)にて、実証的な調査も取り入れた研究がなされています。この研究では、実現可能性を指標にして区別することを提案しています。たとえわずかではあっても、その理想自己をいつかは実現できるという可能性を感じている場合には、これからの自分自身のあり方への期待など、ポジティブな動機づけが生まれると考えられます。一方、自分ではとても実現できない理想自己を掲げている場合は、ネガティブな影響が強くなるでしょう。

組織における目標設定では、今までどおり普通に取り組んでいても達成できないが、少しずつ頑張ることで達成可能な目標を、ストレッチした目標と呼ぶことがあります。これは、現実自己からはギャップがあるが、頑張って手を伸ばせば届く理想自己を意図的に設定することで、成長に向けた行動を促す施策と見ることができます。このときに、あまりにも現状からかけ離れていて到底実現不可能な目標を設定すると、不安や落胆、諦めといったネガティブな要素が強く現れてくるでしょう。

上記のように、ギャップには功罪両面の影響があることと、「功」の部分が現れやすいメカニズムがあることを把握しておくと、適切なやり方で理想自己を追いかけられるようになるのではないでしょうか。

才能研究への示唆

TRCが取り組んでいる才能研究では、才能を発揮している状態の要素のひとつとして、「欲求と行動の一致」を想定しています。これは、自分が実践している行動が、成し遂げたいことやありたい姿につながっているかどうかを意味しています。

成し遂げたいことやありたい姿につながる行動を取っている状態は、今回紹介した学術研究の知見に照らすと、理想自己と現実自己のギャップを埋める行動を、理想自己の実現可能性を実感しつつ実践できている状態と捉えることができます。これは、自身の発展の可能性に期待を抱けているポジティブな状態といえるでしょう。

TRCでは、このような状態をより効果的に引き出すためのポイントや、理想自己の実現を促進するための要因を研究し、TALENT社のプログラムに組み込んで実践していくことを目指しています。理論と実践の両面から、実効的なプログラム開発に繋げていきたいと思いますので、ご期待ください。

文献

  • Higgins, E. T. (1987). Self-discrepancy: a theory relating self and affect. Psychological review, 94(3), 319.

  • Rogers, C. (1959). A theory of therapy, personality relationships as developed in the client-centered framework In: Koch S, editor. Psychology: a study of a science. Vol. 3: formulations of the person and the social context.

  • 水間玲子. (1998). 理想自己と自己評価及び自己形成意識の関連について. 教育心理学研究, 46(2), 131-141.

▼この記事を書いた人
TRC Researcher 江川 伊織
山形県酒田市出身。東京大学大学院にて性格心理学を専攻し、完全主義の認知特性を研究。2017年に科学教育・人材開発等を事業とするベンチャー企業に入社し、若手研究者のキャリア開発や、研究開発人材の採用支援、心理学の知見を活かした事業開発等を経験。2021年10月HR Tech企業にデータマネジメント第1号社員として入社。
現在は採用管理システムのデータ分析や各種リサーチを手掛けつつ、個人事業として調査設計やライティング等も行なう。
「働く」という人間の営みにデータや学術研究の知見を活かしたいと考え、「才能」の切り口から新たな知見の開発・発信を行なうためにTALENTの才能研究に参画。

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