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piece 12:ビジョンと欲望

ビジョン

「デイリー」を離れて、少し上の階層で人生の時間について考える。「ビジョン」についてだ。

Mac付属の「スーパー大辞林」によれば、「ビジョン」には以下のような意味がある。

① 将来のあるべき姿を描いたもの。将来の見通し。構想。未来図。未来像。
② 幻想。幻影。まぼろし。
③ 視覚。視力。視野。
④ 見えるもの。光景。ありさま。

「ビジョン」を意識するようになったきっかけは「手帳」の進化だった。ある時期から予定・アポイントだけでなく「ビジョン」を扱う機能を備えた手帳が登場した。80年代から90年代にかけてのことだったと思う。

ここでいうビジョンは①の意味、「将来のあるべき姿を描いたもの。将来の見通し。構想。未来図。未来像」にあたる(以下「①のビジョン」と呼ぶことにする)。

こうした手帳はさまざまな形でビジョンを描き、計画し、実行するための機能を持っていた。たとえばそれは夢、価値観、役割、目標、ミッションといったものを書き出し、プロジェクトからタスクへとブレイクダウンするリフィルとして実装された。

そこには(それまでの手帳で当たり前だった)「持ち時間を配っていく」だけではない、主体的な時間との関わり方が提示されていた。

あるある

でも人生と生活は、描いた「ビジョン」の通りにはならないのだった。

実際に行動しようとすると、書いてあるタスクの通りに動けない。書いてあるタスクをやる気にならない。気持ちが乗らず先送りしてしまう。逆にあるタスクが乗ってくると、予定外のことまでやってしまう。そして何よりも割り込みタスクが次々に発生する。そしてリストは破綻する。

そう、「タスクリストあるある」が発生するのだ。ビジョンと関係なく、日々の現実は進行していく。ビジョンに関係するタスクを思ったようにやることを現実は許してはくれない。

それだけではない。タスクを思ったように実行できないでいるうちに、いつしかビジョン自体が色あせていることに気づく。①のビジョン(将来のあるべき姿を描いたもの。将来の見通し。構想。未来図。未来像)は、いつの間にか②のビジョン(幻想、幻影、まぼろし)になっている。

欲望と願望

一方で、日々澱のようにたまっていく「思い」があった。「あれをやっておかなければ」とか「これを買っておこう」といった現実的かつ直接的な「思い」もあるけれど、それだけではない。

(本当は)どこにいたいのか。(本当は)何をしていたいのか。(本当は)誰といたいのか。(本当は)どんな気持ちでいたいのか。ふとしたとき心に浮かんでくるそうした「思い」は、多くの場合言葉にはなっていない。情景であり、状況であり、イメージだ。ノスタルジックだったりエロチックだったりエゴイスティックだったりもする。「欲望」や「願望」とも呼ばれるものにとても近い。

その意味に気づいたのはずっと後になってからだ。

①のビジョン(将来のあるべき姿を描いたもの。将来の見通し。構想。未来図。未来像)は、クリアでロジカルで言葉になっている。でも「思い」は④のビジョン(見えるもの、光景、ありさま)として浮かんでくる。

両者は乖離している。そして欲望や願望とつながっていない「あるべき姿」も「見通し」も「構想」も機能するはずがない。

欲望の機能

自分が本当は何を望んでいて、どっちの方向にいきたいのか教えてくれる機能を、人間はちゃんと持っている。それは「欲望」と呼ばれる。

本来プランできない種類のものごとを過度にプランするべきでないのは、欲望に対して目が曇るからだ。

すごく単純な例でいえば、どんなに理想的な条件(スペック)を備えた相手が現れたとしても、その人に触れたり触れられたくないとしたら、人生を共にすることはできない。

相手の振る舞い、声、匂い、言葉の選び方、食べ方、仕草、表情に違和感があったら、人生を共にすることはできない(そういうものがどれだけ重要かは、他人と暮らしたことがある人ならわかるはずだ)。

そこでロジカルな判断を優先すると、あるいは「言葉で説明できる」ことを優先すると、たぶんあまりいい結果にはならない。

だからこそ、すべての基準になる「欲望」が健全であることは重要だ。
たとえば、五感で感じられる食欲。
たとえば、マーケティングをかいくぐる物欲。
たとえば、手に触れられる性欲。
たとえば、目的のない知識欲。
たとえば、地位と無関係な名誉欲。
たとえば、承認を必要としない顕示欲。
たとえば、あの人の声が聞きたいという名前のない欲望。
たとえば、あの人とどこまでも歩きたいという名前のない欲望。

『Piece shake Love』より)

シェイク

ビジョンを描き、目標を立てることには確かに意味がある、と思う。でもビジョンを現実へと反映していくことはもちろん、ビジョンを描くこと自体が簡単ではない。少なくとも手帳のリフィルの欄を埋めて作れるほど簡単ではない。

決められた欄にビジョンを書くこと、そして対応したプロジェクトやタスクへとブレイクダウンしていくことは、トップダウンで作ったアウトラインに合わせて文章を書くことと同じだ。それが無理な相談であることは、piece 11まで書いてきた通りだ。

アウトライン・プロセッシングが教えてくれるのは、トップダウンはボトムアップと組み合わせて意味を持つということ——つまりシェイクが必要だということだ。

かつて手帳に書き出したビジョンは、後になってみればそれっぽい立派な言葉を羅列しただけのように感じられる。自分のものではない、借り物の言葉だったと思える。当然のことだ。

①のビジョン(将来のあるべき姿を描いたもの。将来の見通し。構想。未来図。未来像)だけを考えていても、その正体はわからない。実際の文章を書かずにアウトラインだけを考えようとしても無駄なのと同じだ。①のビジョンを考えたければ、生活の中で折りに触れて浮かんでくる「思い」を取り込んでいく必要がある。つまり④のビジョン(見えるもの。光景。ありさま)だ。

そこに欲望や願望が封じ込められているからだ。

④のビジョン①のビジョンを行き来し、一方の視点をもう一方に反映することを繰り返すこと。乖離してしまった①のビジョン④のビジョンをひとつにすること。それがここでのシェイクだ。

①のビジョン④のビジョンは、いろんなふうに言い替えることができる。たとえば計画と現実。思考と思い。理念と欲望。人生と生活。

Re:vision

①のビジョンのアウトラインを作る。

夢とかミッションとか目標とか銘打つと言葉がひとり歩きしてしまうから、自分にとってしっくりくる言葉を選ぶ(もちろんどんな言葉を選ぶかによって内容は変わる)。個人的には①のビジョンのアウトラインに「BE」と「AS」という名前をつけている。自分としてどうありたいのか(BE)と、人との関係の中でどうありたいのか(AS)のイメージが書かれたアウトラインだ。

一方で、日々のデイリーアウトラインがある。デイリーアウトラインは、1日のDO(タスクと「思い」が一体になったもの)のアウトラインだ。デイリーアウトラインは固定されたものではない。現実に応じて変わり続ける。発生するDOすべてはできないから、取捨選択が行われる。そのときに選択基準の役割を果たすのが①のビジョンだ。

デイリーアウトラインはDOに加えてさまざまなメモが書かれる。打ち合わせのメモ、アイデア、約束、考えたこと、そして欲望や願望を乗せた「思い」、つまり④のビジョンだ。デイリーアウトラインは④のビジョンをキャッチし、言葉にする入り口の役割を果たす。

デイリーアウトラインから取り込まれた④のビジョンは、アウトライン全体に影響を与える。それは①のビジョンとは無関係かもしれない。あるいは矛盾することかもしれない。アウトラインの整合性を保つためには、言葉を変えることはもちろん、場合によってはアウトラインを組み替えることになる。

④のビジョンによって①のビジョンが(現実によって計画が、思いによって思考が、欲望によって理念が、生活によって人生が)更新されていく。こうして①のビジョン④のビジョンはひとつになっていく。

常にシェイクされ変化し続けるダイナミックなアウトラインの中にRe:visionはある。その過程は文章を書くことにとても近い。

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