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あるはずだった、もう一つの未来

「不退転の覚悟」という言葉がある。元々「不退転」とは仏教で使われる言葉だそうだ。「不退転に住す」という言葉もあり、これは生きているときに、仏の力によって絶対の幸福(絶対に変わらない幸福)になったことを言うらしい。とすると「絶対に幸せになることを決めて、腹をくくる」そんな意味合いも見えてくる。

数年前、不退転の覚悟があったわけではなかったが、悩み抜いて(悩み抜いた気になっていただけだった、と後で気付くわけだが)入社した会社を辞め、新しい会社に移った。あっけなく入社した会社はその幕を下ろしてしまい、あれよあれよという間に今の自分がある。正直、流されるままに来てしまった。

自分は、不退転の覚悟を持ったことはあるのだろうか。Netflixで少し話題になっていた「終わらない週末」を見た。作中の中で父親は「自分はスマホがないと何もできない情けない父親だ」といって、覚悟をもって息子のために薬を請うシーンがあった。映画の考察は下記のnoteが非常に分かりやすく譲るとして、妙にこの父親に自分を重ねてしまった。いや、自分だけでなく、自分を取り巻く人間関係や、社会の様子も、うまく重ねやすかったように思う。神経質な母親、性欲に殺されかけている年頃の息子、そして、自分の信念を貫き通す中で、見えないものがみえた娘、完璧なはずの黒人男性、そしてその父親にあの娘あり(優秀だが擦れている)、といったところか。

東京にいる間に、仕事だけでなく、いろんな人と話した。2024年、まだ子供もいない夫婦生活である自分にとって、アグレッシブに動けるのも数年かもしれない。自分の興味だけでなく「関係性」に振り切ってみると決めた今年、おかげで今までとは違った世界の見え方がある。

その滞在の中で、あるはずだったもう一つの未来が頭をよぎる瞬間があった。その中の自分も、それはそれで幸せそうで、今も悪くはないのだけど、そんなことを思っていたら終電がなくなってしまい、たまたま泊まったカプセルホテルで奇妙な絵が飾ってあった。

人間の愚かさを書いた絵らしい

終わらない週末を見た後だと、スッと腹落ちする。

明日からもまた、人間関係の中で動き続ける仕事が始まる。まだまだ、関係性の中の自分が続くことになる。それが今の自分の「仕事」ということになるのだろう。カプセルホテルで出会った素敵な女将さんは左下の女性ということになるのだろうか。とても良いおもてなしをしていただいた。良い意味で値段不相応であった。

自分にとっての東京は、そんなあるはずだった未来をいつまでも描き続け、発展し続ける、そんなところなんだろうなと感じた1週間であった。

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