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京都でのキャリアブレイク

「人の転機に携わってみたい」
人生の岐路に10年以上、形は違えど立ち続け、それぞれ一人一人、家族ごとの多様な人生があり、その交差点から見える景色は様々だった。

今は、個人が発信する時代でもあるので、その人生模様がインターネット上には、これでもかと溢れている。それぞれになぜか自分の人生を重ねてしまい、余計な不安や心配、嫉妬や欲望が生まれるのも無理はない。

ただ、時にはそれが垣間見えることで、自分自身が勇気づけられることもあるのかもしれない。

「キャリアブレイク」という言葉を知ったのは数年前だったが、京都はこのメディアで取り上げている「キャリアブレイク」を過ごすのに確かに良い場所だと思う。

京都で約2年生活してみて、理解が及ばないほどの文化資産、自然と都市の近さ、なんとなくゆっくり流れている時間、粋な小商いの数々、数々の伝統行事と、強い地域のつながり。かといって伝統に縛られすぎているわけでもなく、想像以上に新しいものを取り入れる素地も多く好奇心を日々刺激される。

普段フルリモートでの仕事で、人と出会うことも多く、多くの出会いが日々流れるように過ぎていく。それは、コロナの影響もあり、都会で働いていた時よりもスピード感が出ていて、3日も経てば、議事録を見返さない限り、何を話したかも覚えていないことも多い。

流れるようにすべてが意思決定され「学び」は深まらない気がしてならない。

 人間が知的好奇心が強く、深く理解することを求めている、といっても、いつでも、どのようなときでも、そうなのではない。

(中略)

 理解するためには、新しく入ってくる情報を既有の情報と関連づけ、そこに整合的な関係を見出すことが必要である。ただ単に新しい情報を付加するのに比べて、この整合的関係の発見には、多くの心的努力が要求される。

 現在の課題の達成のために手持ちの心的エネルギーないし情報処理能力を使い切っている状態では、とてもこうした理解の達成のほうにまで力をふり向けられないであろう。いいかえれば理解をともなう学習には時間がかかるのである。時間に追われ、多くのことを速やかに処理しなければならない場合には、とても深い理解など達成できない。

人はいかに学ぶか」P63より抜粋

京都の街はそんな目まぐるしく過ぎる日々の中で、強制的に余白を作ってくれる。

引っ越してきて、野鳥に詳しくなってきた。野菜の種類や、花の種類、草木の種類、季節感にも敏感になった。行事やお祭りを通じて「間」をとりもつ、そんな慣習の素晴らしさにも気付かせてくれた。歴史にも、世界にも興味が芽生えてきた。映画や美術館に通い詰めることで、自分にはまだまだ理解できないカルチャーにもたくさん触れることが出来た。

まだまだわからないことだらけだけど、34年生きてきて、ようやく自分が思う「人」に近づけている感覚がある。移住前に「学び」を深めることがテーマだったが、狙い通りだったと言える。

前述のメディアもそうだし、冒頭のメディアの仕掛け人もそうだが、京都はこうした一人一人の働きかけで素敵な発信の場を作るっている人も多いと思う。

粋な商売が多く存在しているのだろう。ここ2年くらい過ごして見つけた粋な商売に関しても、まとめてみたい。

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