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とにかく必死だったあのとき

いまTwitterで話題となっているこのNoteを読んで、なんだか懐かしく感じた。

僕が懐かしく感じた理由は、ネットを使って必死に探したと言う経験が重なったからだ。

モンゴルという国でのシーズンを終えて、次のプレー環境を求めていた時になかなか決まらなかった。

そして、時間だけが刻々と過ぎていく。

選手が新たなチームへ移籍する際には登録ができる期間がある。

それを過ぎてしまうとその国のリーグには参戦できなくなる。どの国も、その期限ギリギリまで契約を待って少しでも良い外国人選手との契約をまとめようとする。

逆に言えば、実力が十分であれば他に取られないうちに契約してしまおうと言う頭が働くはずだから、

それはそう言うものであり、そういうものではない。

そして、想定していた国での登録期間は過ぎてしまった。

計画がなったか頭から無くなった。

もう引退かな…と脳裏に浮かんだ。そんなときに友人からこんな言葉をかけられた。

「チャレンジできるだけ幸せですよ。僕はチャレンジしたくても膝が動かない。」

彼は怪我をしていた。
チャンスがあればいくらだってやりたいけれど、体がそうはいかない。

体が動くのに、自ら「やめる」と言う選択を取ることをそれすら羨ましいことだと捉えた。

僕はネットで代理人らしき人物、もしくはクラブ、関係者と思われるものには自分のプレービデオとCV(履歴書)を送り尽くした。

数にして200通ほどは送ったと思う。
とにかくやれるだけやって、ダメなら仕方ないと思った。

むしろ、そう言えないなら辞める資格すらないと思った。そう思わせてもらった。

結局、200通送って返事が来たのは10%以下だ。
そして、そのいくつかの話に乗ってイタリアへ行ったり、マレーシアへ飛んだけれど、騙された事や飛行機の中で話がなくなったと言うこともあった。

それでも、やると決めた自分は「やらないよりマシだった」と思っていた。

そんな姿を見て1通の連絡をもらい、僕はネパールという国へ飛んだ。

そして、そこで再びプレーする機会を得た。

とにかく必死に探した。
そんな時の自分を思い出した。

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